2009年2月11日水曜日

日本語の21世紀のために

また読んでみましたよ。

気骨あふれる爺、二人による対談集であるが、中身が濃くって面白い。

特に、伝達の手段としての日本語のみを重視したために
標準語を作ったのはよいが、思考の手段としての日本語としての役割をおざなりにした、
という指摘は、示唆に富んでいて面白い。

日本語を思考のツールとして利用していく限り、必ず言語の壁、ここでは標準語の壁にぶつかるんですね。

また、書き言葉が早いうちに日本中に広まっていた、という点は、網野さんの日本史の本でも
指摘されていたことです。

書き言葉が広く普及し、それを理解する人が全国にいたからこそ、中央集権的な国家が日本に成立したという点ですね。

ここで、みんなが理解できる、伝達としての機能は申し分ないものとみることができるでしょう。

日本語を使っている限りは、何度もこの本を読み直して、自分が使っている言語が一体どういうものか、時間はかかろうとも、考えるべきだと思う。自分の使っているものが、実はどういう性質のものか知らないようでは、それを使って書いている、Life Hack、成功本など、いくらあっても意味がなくなってしまうかもしれません。