人物の実力という評価を、学力、学歴などよりも、その人の立居振る舞い、考え方の鋭さ、反応のすばやさなどから判断する傾向が強いように思える。元はテレビの用語であったと思われる、KYが日常用語になったように、いわゆる頭の回転の速さが評価の対象になっているのだ。
この考え方が当たっているならば、適当な学歴、来歴をもち、テレビ上でも、すばやい反応をし、キャスターまがいのことまでもこなしている劇団ひとりさんは、かなり評価が高いのではないだろうか。
首相候補は誇張しすぎだろうが、こういった刹那的適応力を持つ人物が、高評価を得ることになる。それがこの世の傾向なのだ。
2008年11月30日日曜日
将来の首相候補、劇団ひとり
2008年11月24日月曜日
例の事件
テレビの描く感動に意味はあるのだろうか?
数字が取れれば、多少の演出は許されるのか。
そもそも、演出とは何なのか。
ものすごく安直に思えてしまい、まともに見れなくなっている。
この件とは関係ないんだけれども、
島田紳助氏が番組でやっていることは、テレビによる資本主義に他ならないと思う。
視聴率、それに伴う収入、効用の最大化をするという手法に非常に長けている人なんだと思う。
今回の学校建設の件も、なんで、その場初なのか、なんで絵のオークションになったのか、疑問はあるが、目標を達成し、数字も稼げているのであれば、文句は出ない、ということなのだろう。
でも、ナガブチさんを出したり、自分の行動の評価を高める行動をもらしていない点が、
抜け目ないというか、頭がいいところなんですよね。非常に慎重にやっている。
この建設活動が、どうなるのか、全くわかりませんが、表向きは問題点を解決していると思えます。でもやはりボランティアの基本は、自分の収入で人を助けることにあると思う。
人の金を使って、大掛かりに仕組んだ今回の件。今後もかなりうまくすすめるのでしょうね。
今日の1曲。
2008年11月22日土曜日
小林さんの件
さて、新聞の雑誌広告で、小林秀雄の特集を見る機会がありました。
最近の作家さんでも、クオリア研究の茂木健一郎さんとか、夭折された池田晶子さんなどが、
小林秀雄への敬愛をその書中に記しています。
今、なぜ小林秀雄なのでしょうか。正直言ってわからないですね。
小林氏は、戦後日本の文壇で批評というジャンルを築いた人として、扱われる場合が多いと思うのですが、その作品を読んでみても、どうもよくわからないのです。
私が最初に触れた作品は「月見の宴」でした。高校受験の時でしたね。
今でもこの短い論文を読み返すときがあるのですが、どうもよくわからないのです。
概念的というか、なんと言うのか。プロの作家さんでも、小林氏の作品(批評)は、恫喝に似たスタイルと断言している人もいますからね。
これは丸谷才一さんの意見なのですが、恫喝といわれればそうなのかもしれません。
緻密に論を積み上げるのではなく、ある瞬間、読者を突き放し、急に小林氏の意見、考えが
ドカンと書中に落ちてくる、そういう感覚がするのです。
批評というジャンルで、小林氏のみを扱うのではなく、他にも批評に携わった人がいるわけです。小林さんの作品を回顧し、批評というジャンルを再度考えてみるというのであれば、小林氏の作品だけではなく、他の方の作品にも言及するべきでしょう。
もっとも広い視野が要求されていると考えられる、文学雑誌で、批評というジャンルを扱うのであれば、小林氏以外にも取り上げるべき作家はたくさんいると思うのです。
2008年11月20日木曜日
2008年11月18日火曜日
前回の続き
やっぱり最後まで読むべきだった。
最終章は、日本のこれから進むべき道を提言する章であり、本書の要。
かなり説得力高く現状と、将来を語っている。
米国以外の経済体制とも太いパイプを築いていこうという内容。素直にうなずける。
ここまで読むと、前章の各国の紹介は、すべてこの章に続くのだなと
わかるのだが、資源ナショナリズムなど、各国の状況の説明が少し不足だと感じる。
商品先物や、多国籍企業など、資源ナショナリズムを崩した制度はいまだ存在する。
それらと資源ナショナリズムは、共存できるのだろうか。
また、経済体制が複数作られるのは結構だが、主導権争いになると、協力体制を築き上げつつある現状が台無しになってしまう恐れもある。反米だけではなく、域内外の経済体制を尊重しながら、各活動を行っていく必要があると思うのだ。
2008年11月15日土曜日
「反米経済」
PHP社刊。図書館で借りて読んでいる。まだ完了していないが感想を。
今回の金融危機で、アメリカ型経済は終焉を迎え、BRICs始め、現在発展途上国と呼ばれる国々が新しい、有力な経済の担い手として登場してくるだろう。凋落するアメリカではなくって、これらの国と仲良くすると良いよ、という内容、これまでのところ。
サブプライム問題から、今回の金融危機までの分析は精緻でありながら非常に分かりやすい。
でも、結論までの物語の書き方は強引なように思える。
今回の経済危機で、アメリカの経済的な役割が、急激に落ちるとは思えない。また新興国についても、真に国際経済に影響力を与えられるようになるには、経済の伸びではなく、制度や政治的不安定性を払拭する必要があるだろう。この点を多少過小評価しているように思われる。
著者はBRICs研究所の人らしいので、やはりこれら新興国の動向を中心に描きたいという思いがあるのだろうが、本当にこれらの国がチカラをもつまでに、欧米が再度復興する可能性も高いだろう。その場合、本書にあるような経済ブロック同士の覇権争いではなく、今回の騒動を鑑みた、国際的な協力体制を築き上げる方向に動くような気がする。
先進国がそのチカラに溺れ、その地位を新興国に取って代わられるというのは、刺激的なプロットであるが、経済上の競争を覇権争いの観点からのみ描き出すのは不十分だろう。今後の国際経済、特に金融体制は各国が協力をするという体制の上に築き上げられるものだと考えたい。
2008年11月13日木曜日
ねんきん の続き
シニア層から、職業のない20代、30代への所得移転策というか、
なんとかシニア層の消費というか、簡単に言えば彼らの負担によって、これら苦労している世代への支援にまわせるお金をまかなえないものか。
シニア層も運用していたいお金が、今回の騒動で大変な思いをしているだろうけれども、結局はシニア層のこれからの年金の源も、今、働いている人の負担によるのであれば、若年層の室牛尾問題を早く解決すべきだろう。
世代でお金を循環させる策が必要である。この方策はシニア層の負担を強いるものであるから、彼らは反発するに違いない。しかし、社会に必要な策を、自らの権限において実行するのが、政策のはずである。最近は選挙対策と思える政策が多いような気もするが、本当に必要な策は何なのか、じっくり考えてほしいと思う。
2008年11月10日月曜日
ねんきん
年金特別便に誤りがあった私が来ましたよ。
年金制度は結局は若い人の負担で、ご老人たちの面倒をみようじゃないか、
という制度でしょう。
この考えでよければ、年金を負担する人たちが少ない、20代、30代がこのままとなると、
とてもじゃないが負担できなくなるというのが、必然。
まあ、ご老体になってもお金が必要だから、一概には言えないけれども、
将来のことを考えるのであれば、これから経済を支える世代に、十分な雇用が無ければならない理由もよくわかる。
企業も、金のあるシニアを標的にマーケティングをするのはわかるが、
彼らの財布を空にする方策だけを考えるべきではないだろう。
誰でもお金はほしいもの。でも経済だけは、よかれ悪しかれ、永続的に続くものだ。
次の世代にも十分な雇用、社会保障が準備できなければ、社会の富(いわゆるパイ)は
縮小するばかりだ。
2008年11月9日日曜日
学区制
うちの住まいは、近年人口が増え続ける江東区にあります。
ここで、来年から、小学校の学区制をまた復活させようとする動きがあります。
理由は、学区制を撤廃したところ、小学校ごとの入学者数にかなり偏りが生じたり、
(多いところは200名ぐらい、少ないところは7名とか。)
地元の行事への参加意識が薄くなり、町として成り立たなくなってしまったこととか。
もともと学区制をなくした理由というのは、学校の運営に競争の考え方を導入して、学校ごとの特色を活かしていこうという考え方だと思うのです。これは結果的に学校の人気に偏りが出てくるということになるんですね。その上で統廃合とか、そういう検討を通じて、学校の数を整理し、有効に運用していこうという考え方だと思うのです。
だから。この偏りが生じたことを理由として、学区制を再び設けることは、じゃ、なんでなくしたのよ、何を目標にしてきたのよ、ということになるのです。何で?江東区さん!
人が増えすぎて、学校の数が足りない豊洲、東雲地区の奥さん方は、話が違うとプンプン憤慨している模様。
新しく学校を作るにも、時間はかかるし、2,3年前にできた豊洲北小学校も、早くも教室の増築に着手するなど、てんてこ舞いな様子。
他の人口の増えていないところとは、事情が違うんだから、今ある学校を有効に使わないと、
みんな中央区に逃げるぞ。それでもいいといえるのか。
http://www.youtube.com/watch?v=mF1NWjV17pw
残念ながら、画像を貼れなかった。リンクでおk。
2008年11月8日土曜日
2008年11月4日火曜日
2008年11月3日月曜日
規制とは
市場原理主義という言葉があるが、何かしっくりこない。
現代は市場原理主義、何でも市場に任せる、という論点が多いように思えるが、
具体的にどういう状況をさしているのか、わからない。
市場原理主義といえるほど、われわれは自由に者を考え、行動しているのか、
チャリンコの3人乗りでさえ、規制されるような動きもあるなど、
日常の行動までをも規制されている世の中ではないのか。
市場は万全ではない。必ず分配面でゆがみが出る。
だからといって、当局の動きで調整可能であるとは考えないほうが良いだろう。
規制でどういう影響が出るのか、それをすべて検討の上、対処をしなければならない。
全知全能でない限り、規制ですべてを調整するようなことなど、できないと思うのだ。
2008年11月2日日曜日
俺たちにはAC/DCがあるじゃないか。
AC/DCのニューアルバムが各国で軒並み1位になってるそうで、
Barksによると、29ヶ国だそうですよ。すごいですねえ。
日本での知名度が無いのはマスコミの責任。
ロックといえば、AC/DCというぐらいの代名詞的存在。
未だに3大ギタリストとか行っている、ロックマスコミがバカに見える。
AC/DCもキャリア古いんだから、偏向しすぎ。
AC/DCのすごいところは、ゴシップもドラッグもファッションもお説教も、
何にも関係がないというところ。歌詞にもほとんど意味が無いところがすばらしい。
音以外のところが売りになっている人が多い昨今。彼らのニューアルバムの成功が
何を意味しているのか、考えてみると面白いかもよ。