2008年11月22日土曜日

小林さんの件

さて、新聞の雑誌広告で、小林秀雄の特集を見る機会がありました。

最近の作家さんでも、クオリア研究の茂木健一郎さんとか、夭折された池田晶子さんなどが、
小林秀雄への敬愛をその書中に記しています。

今、なぜ小林秀雄なのでしょうか。正直言ってわからないですね。

小林氏は、戦後日本の文壇で批評というジャンルを築いた人として、扱われる場合が多いと思うのですが、その作品を読んでみても、どうもよくわからないのです。

私が最初に触れた作品は「月見の宴」でした。高校受験の時でしたね。
今でもこの短い論文を読み返すときがあるのですが、どうもよくわからないのです。

概念的というか、なんと言うのか。プロの作家さんでも、小林氏の作品(批評)は、恫喝に似たスタイルと断言している人もいますからね。

これは丸谷才一さんの意見なのですが、恫喝といわれればそうなのかもしれません。
緻密に論を積み上げるのではなく、ある瞬間、読者を突き放し、急に小林氏の意見、考えが
ドカンと書中に落ちてくる、そういう感覚がするのです。

批評というジャンルで、小林氏のみを扱うのではなく、他にも批評に携わった人がいるわけです。小林さんの作品を回顧し、批評というジャンルを再度考えてみるというのであれば、小林氏の作品だけではなく、他の方の作品にも言及するべきでしょう。

もっとも広い視野が要求されていると考えられる、文学雑誌で、批評というジャンルを扱うのであれば、小林氏以外にも取り上げるべき作家はたくさんいると思うのです。