大量の移民受け入れを促す、経団連の発言は、
まさに、ティム・ハーフォード氏の著作の通りなのかもしれない。
興味津々。
2008年12月18日木曜日
2008年12月6日土曜日
規制緩和
テレビがつまらないと感じるようになって、おやじになったとつくづく思います。
でもこういう人は多いのだろうね。特にニュース番組がつまらないと思うんです。
ああ、こう書くとなんだか愚痴っぽい。
麻生さんの飲む店の事なんか、どうでもいいのですよ。政治問題じゃないじゃない。
今回書きたいことは、働くということについて。
派遣切りとか、全くいやなニュースが多いです。
もともと派遣は、景気が悪くなれば、首を切られる立場である、といってしまえばそれで終わりであって、結局会社で働くにも、それしか選択肢が無かったというのが、ほとんどの人の立場だと思うのです。
派遣業が導入され始めたときには、新しい働き方などと、いかにももっともらしい宣伝がなされていましたが、結局は企業に都合のよい制度ということなのでしょう。
正社員、派遣になるなど、選択できればまだいいものの、採用方法として、派遣や、一時採用のような形でしか雇われなかった場合、今回の首切りは絶対に許せないでしょう。そんなこと望んでいない。
私にできる事はありません。でもこうした境遇の人たちには徹底的に戦ってほしいと思います。人事ではありません。雇用者の立場を軽く考えている経営者がいるのであれば、彼らにわれわれの立場を知らせないでいるわけにはいかないでしょう。
こんな派遣業務制度が成り立っていくわけないです。
マスコミは本当にこうしたことを報道しているのでしょうか。彼らはどちらの味方なのでしょうか。そんなことを期待するのは無意味なのでしょうか。
投稿者
えげれす
時刻:
21:34
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2008年11月30日日曜日
将来の首相候補、劇団ひとり
人物の実力という評価を、学力、学歴などよりも、その人の立居振る舞い、考え方の鋭さ、反応のすばやさなどから判断する傾向が強いように思える。元はテレビの用語であったと思われる、KYが日常用語になったように、いわゆる頭の回転の速さが評価の対象になっているのだ。
この考え方が当たっているならば、適当な学歴、来歴をもち、テレビ上でも、すばやい反応をし、キャスターまがいのことまでもこなしている劇団ひとりさんは、かなり評価が高いのではないだろうか。
首相候補は誇張しすぎだろうが、こういった刹那的適応力を持つ人物が、高評価を得ることになる。それがこの世の傾向なのだ。
2008年11月24日月曜日
例の事件
テレビの描く感動に意味はあるのだろうか?
数字が取れれば、多少の演出は許されるのか。
そもそも、演出とは何なのか。
ものすごく安直に思えてしまい、まともに見れなくなっている。
この件とは関係ないんだけれども、
島田紳助氏が番組でやっていることは、テレビによる資本主義に他ならないと思う。
視聴率、それに伴う収入、効用の最大化をするという手法に非常に長けている人なんだと思う。
今回の学校建設の件も、なんで、その場初なのか、なんで絵のオークションになったのか、疑問はあるが、目標を達成し、数字も稼げているのであれば、文句は出ない、ということなのだろう。
でも、ナガブチさんを出したり、自分の行動の評価を高める行動をもらしていない点が、
抜け目ないというか、頭がいいところなんですよね。非常に慎重にやっている。
この建設活動が、どうなるのか、全くわかりませんが、表向きは問題点を解決していると思えます。でもやはりボランティアの基本は、自分の収入で人を助けることにあると思う。
人の金を使って、大掛かりに仕組んだ今回の件。今後もかなりうまくすすめるのでしょうね。
今日の1曲。
2008年11月22日土曜日
小林さんの件
さて、新聞の雑誌広告で、小林秀雄の特集を見る機会がありました。
最近の作家さんでも、クオリア研究の茂木健一郎さんとか、夭折された池田晶子さんなどが、
小林秀雄への敬愛をその書中に記しています。
今、なぜ小林秀雄なのでしょうか。正直言ってわからないですね。
小林氏は、戦後日本の文壇で批評というジャンルを築いた人として、扱われる場合が多いと思うのですが、その作品を読んでみても、どうもよくわからないのです。
私が最初に触れた作品は「月見の宴」でした。高校受験の時でしたね。
今でもこの短い論文を読み返すときがあるのですが、どうもよくわからないのです。
概念的というか、なんと言うのか。プロの作家さんでも、小林氏の作品(批評)は、恫喝に似たスタイルと断言している人もいますからね。
これは丸谷才一さんの意見なのですが、恫喝といわれればそうなのかもしれません。
緻密に論を積み上げるのではなく、ある瞬間、読者を突き放し、急に小林氏の意見、考えが
ドカンと書中に落ちてくる、そういう感覚がするのです。
批評というジャンルで、小林氏のみを扱うのではなく、他にも批評に携わった人がいるわけです。小林さんの作品を回顧し、批評というジャンルを再度考えてみるというのであれば、小林氏の作品だけではなく、他の方の作品にも言及するべきでしょう。
もっとも広い視野が要求されていると考えられる、文学雑誌で、批評というジャンルを扱うのであれば、小林氏以外にも取り上げるべき作家はたくさんいると思うのです。
2008年11月20日木曜日
2008年11月18日火曜日
前回の続き
やっぱり最後まで読むべきだった。
最終章は、日本のこれから進むべき道を提言する章であり、本書の要。
かなり説得力高く現状と、将来を語っている。
米国以外の経済体制とも太いパイプを築いていこうという内容。素直にうなずける。
ここまで読むと、前章の各国の紹介は、すべてこの章に続くのだなと
わかるのだが、資源ナショナリズムなど、各国の状況の説明が少し不足だと感じる。
商品先物や、多国籍企業など、資源ナショナリズムを崩した制度はいまだ存在する。
それらと資源ナショナリズムは、共存できるのだろうか。
また、経済体制が複数作られるのは結構だが、主導権争いになると、協力体制を築き上げつつある現状が台無しになってしまう恐れもある。反米だけではなく、域内外の経済体制を尊重しながら、各活動を行っていく必要があると思うのだ。
2008年11月15日土曜日
「反米経済」
PHP社刊。図書館で借りて読んでいる。まだ完了していないが感想を。
今回の金融危機で、アメリカ型経済は終焉を迎え、BRICs始め、現在発展途上国と呼ばれる国々が新しい、有力な経済の担い手として登場してくるだろう。凋落するアメリカではなくって、これらの国と仲良くすると良いよ、という内容、これまでのところ。
サブプライム問題から、今回の金融危機までの分析は精緻でありながら非常に分かりやすい。
でも、結論までの物語の書き方は強引なように思える。
今回の経済危機で、アメリカの経済的な役割が、急激に落ちるとは思えない。また新興国についても、真に国際経済に影響力を与えられるようになるには、経済の伸びではなく、制度や政治的不安定性を払拭する必要があるだろう。この点を多少過小評価しているように思われる。
著者はBRICs研究所の人らしいので、やはりこれら新興国の動向を中心に描きたいという思いがあるのだろうが、本当にこれらの国がチカラをもつまでに、欧米が再度復興する可能性も高いだろう。その場合、本書にあるような経済ブロック同士の覇権争いではなく、今回の騒動を鑑みた、国際的な協力体制を築き上げる方向に動くような気がする。
先進国がそのチカラに溺れ、その地位を新興国に取って代わられるというのは、刺激的なプロットであるが、経済上の競争を覇権争いの観点からのみ描き出すのは不十分だろう。今後の国際経済、特に金融体制は各国が協力をするという体制の上に築き上げられるものだと考えたい。
2008年11月13日木曜日
ねんきん の続き
シニア層から、職業のない20代、30代への所得移転策というか、
なんとかシニア層の消費というか、簡単に言えば彼らの負担によって、これら苦労している世代への支援にまわせるお金をまかなえないものか。
シニア層も運用していたいお金が、今回の騒動で大変な思いをしているだろうけれども、結局はシニア層のこれからの年金の源も、今、働いている人の負担によるのであれば、若年層の室牛尾問題を早く解決すべきだろう。
世代でお金を循環させる策が必要である。この方策はシニア層の負担を強いるものであるから、彼らは反発するに違いない。しかし、社会に必要な策を、自らの権限において実行するのが、政策のはずである。最近は選挙対策と思える政策が多いような気もするが、本当に必要な策は何なのか、じっくり考えてほしいと思う。
2008年11月10日月曜日
ねんきん
年金特別便に誤りがあった私が来ましたよ。
年金制度は結局は若い人の負担で、ご老人たちの面倒をみようじゃないか、
という制度でしょう。
この考えでよければ、年金を負担する人たちが少ない、20代、30代がこのままとなると、
とてもじゃないが負担できなくなるというのが、必然。
まあ、ご老体になってもお金が必要だから、一概には言えないけれども、
将来のことを考えるのであれば、これから経済を支える世代に、十分な雇用が無ければならない理由もよくわかる。
企業も、金のあるシニアを標的にマーケティングをするのはわかるが、
彼らの財布を空にする方策だけを考えるべきではないだろう。
誰でもお金はほしいもの。でも経済だけは、よかれ悪しかれ、永続的に続くものだ。
次の世代にも十分な雇用、社会保障が準備できなければ、社会の富(いわゆるパイ)は
縮小するばかりだ。
2008年11月9日日曜日
学区制
うちの住まいは、近年人口が増え続ける江東区にあります。
ここで、来年から、小学校の学区制をまた復活させようとする動きがあります。
理由は、学区制を撤廃したところ、小学校ごとの入学者数にかなり偏りが生じたり、
(多いところは200名ぐらい、少ないところは7名とか。)
地元の行事への参加意識が薄くなり、町として成り立たなくなってしまったこととか。
もともと学区制をなくした理由というのは、学校の運営に競争の考え方を導入して、学校ごとの特色を活かしていこうという考え方だと思うのです。これは結果的に学校の人気に偏りが出てくるということになるんですね。その上で統廃合とか、そういう検討を通じて、学校の数を整理し、有効に運用していこうという考え方だと思うのです。
だから。この偏りが生じたことを理由として、学区制を再び設けることは、じゃ、なんでなくしたのよ、何を目標にしてきたのよ、ということになるのです。何で?江東区さん!
人が増えすぎて、学校の数が足りない豊洲、東雲地区の奥さん方は、話が違うとプンプン憤慨している模様。
新しく学校を作るにも、時間はかかるし、2,3年前にできた豊洲北小学校も、早くも教室の増築に着手するなど、てんてこ舞いな様子。
他の人口の増えていないところとは、事情が違うんだから、今ある学校を有効に使わないと、
みんな中央区に逃げるぞ。それでもいいといえるのか。
http://www.youtube.com/watch?v=mF1NWjV17pw
残念ながら、画像を貼れなかった。リンクでおk。
2008年11月8日土曜日
2008年11月4日火曜日
2008年11月3日月曜日
規制とは
市場原理主義という言葉があるが、何かしっくりこない。
現代は市場原理主義、何でも市場に任せる、という論点が多いように思えるが、
具体的にどういう状況をさしているのか、わからない。
市場原理主義といえるほど、われわれは自由に者を考え、行動しているのか、
チャリンコの3人乗りでさえ、規制されるような動きもあるなど、
日常の行動までをも規制されている世の中ではないのか。
市場は万全ではない。必ず分配面でゆがみが出る。
だからといって、当局の動きで調整可能であるとは考えないほうが良いだろう。
規制でどういう影響が出るのか、それをすべて検討の上、対処をしなければならない。
全知全能でない限り、規制ですべてを調整するようなことなど、できないと思うのだ。
2008年11月2日日曜日
俺たちにはAC/DCがあるじゃないか。
AC/DCのニューアルバムが各国で軒並み1位になってるそうで、
Barksによると、29ヶ国だそうですよ。すごいですねえ。
日本での知名度が無いのはマスコミの責任。
ロックといえば、AC/DCというぐらいの代名詞的存在。
未だに3大ギタリストとか行っている、ロックマスコミがバカに見える。
AC/DCもキャリア古いんだから、偏向しすぎ。
AC/DCのすごいところは、ゴシップもドラッグもファッションもお説教も、
何にも関係がないというところ。歌詞にもほとんど意味が無いところがすばらしい。
音以外のところが売りになっている人が多い昨今。彼らのニューアルバムの成功が
何を意味しているのか、考えてみると面白いかもよ。
2008年10月31日金曜日
2008年10月27日月曜日
2008年10月26日日曜日
諧謔。
欧米と日本の音楽の違いって、やっぱり、批判精神、諧謔にあるのだと思うのです。
ボノ、みたいに政治に介入する人もいるわけですが、他にも政治的なバックグラウンドを持つグループもありますし、政治、経済、社会を相手にする、土壌というのがあるのではないでしょうか。
日本の場合、J-POPとして、かなり楽曲のクオリティは高くなっていると思います。でも歌詞の内容は歌謡曲の延長なのか、恋愛を題材にしたものが多いですね。
悪い事はないですが、社会に訴える曲、政治的に物議を醸し出すようなものはまだないですよね。こういうところはフォークソングなどに適わないわけですが、先日の清原さん引退セレモニーのように、完全に主役を食っちゃった元フォークシンガーもいるのですから、一概にフォークが社会に対抗しているとは言えないのかも知れません。
お姉ちゃんたちのパンチラもそりゃあ、気にならないことはないですが、こういう話題だけではやはり寂しい。もっと、主張するJ-POPというのを聴きたいですね。
今の時代、音楽が持っている力を発揮してほしいと考えています。
この人たちもかなり政治的。まあ、かなり曲がっていますけれども。
2008年10月23日木曜日
よよよい、よよよい、よよい、よい。
なんだかねえ、ここまでくると何がよくて何が悪いのかわからなくなるね。
仕事のことなんだけれども、ここまで苦労するものか。
この状況を個人として突破するためには、何が必要か。
粘り強さなんだろうね。こう書くと、自己啓発本みたいだし、まあ実際その影響で書いているんだけれども、
せめて自分の好きなもの、やろうと決めたもの(これが目標になるのかな)には、毎日何らかの形で、関わっていこうと思おうよ。勉強って、結局継続なんだよね。
何をやるか。
勉強
営業
資格
FP
音楽
ベース
父、夫としての役割
わあ、結構あるねえ。大まかに書いたけれども、やること多いぞ。
目指すべきものは、有能な一市民だ。なんだこれは、まだ考えることは多いぞ。
この曲も懐かしいですね。当時のバンドもまだ、現役というのが多い。こちらも負けていられない。
2008年10月20日月曜日
「分かりやすさ」の帰結
報道、テレビ番組、政治、経済、世の中のありとあらゆる面で、「分かりやすさ」という点が最重要のものとして扱われているような気がします。
万人に受け入れなければ、問題がある、それでは意味がない、という風に受け入れられ、
わかり安いものが、受け入れられる、そういう風潮です。
今のところ、なんと言って表現したらよいのかわからないのですが、分かりやすければ、本当にそれでいいのか、疑問に思うのです。
努力して取得しなければ得られない知識もある。そうした知識を前提に議論をせねばならないものもあるでしょう。
でもそんな労力を使うようなことは排除され、わかりやすいもの、習得しやすいものが歓迎されている。
世の中のできごとは、すべて分かりやすいものでできているわけではないでしょう。本質的には単純なものが多いのかもしれないけれど、それがイコール簡単なこと、理解しやすいことにはならないと思う。
わかりやすさが重要なことになるのであれば、送り手は簡単に情報操作ができると思うんですね。
この点を考えてみたいと思います。
2008年9月25日木曜日
子殺し
なんというのか、子供が犠牲になる事件が多くて、
いやな気分になる。
子殺しの犯人は、ほとんどその身内である、というような統計もあるみたいだけれども、
嫌なものだよね。
親が子供を殺す、子が親を殺す、かつては赤塚不二夫の漫画に描かれたような
ナンセンスが実現されてしまっている。
殺人が当たり前って、どんな世の中なのだろう。こんなナンセンスがあるのだろうか。
前述の赤塚さんの漫画については、その漫画の世界が実現したようなナンセンスな現実に直面すれば、もう昏睡するしかないだろう(逝去する前の状態)、といった丸谷才一さんの評論があったけれども、われわれも、このような現実に直面して、いったいどのような対応ができるというのだろうか。
この曲のナンセンスさが通用していた時代があった。
でもこの曲をテレビ、ラジオで聞くことは無いだろう。このような諧謔が全く通用しない世の中になっているのだ。
2008年9月23日火曜日
なんとなくタイトルを変えました。
もっと広く音楽を扱いたいな、と思ったからですが、
そんれほど引き出しは大きくないから、毎日の更新はできないだろうけれどね。
久石さんの武道館コンサートをNHK衛星で拝見。
武道館は音響はよくないと聴くけれども、そのせいなのか、
音量がかなり小さく聴こえた。これが残念。
真夏のコンサートで、コーラスも含めればかなりの大所帯だから、
キャパを考えると、武道館クラスが必要なのだろうけれど、
サントリーホールぐらいで、きれいな音を楽しみたいという人もいるだろうね。
ジブリ作品のベスト盤みたいな雰囲気のコンサートだし、、
作品では、主題歌、挿入歌が大切に扱われているから、音楽から映画の場面を
連想できるだろうし、ファンには楽しめたと思います。値段は知らぬが。
武道館といえば、やはりこれ。
よく、こういうのが残っているよねえ。不思議!
2008年9月20日土曜日
人生の変革期をまだ走っています。
いやあ、なんか疲れたねえ。
本当にやらなければならないことが多すぎる。こんな短期間に
人生の大問題を決めなければならないなんて、エキサイティング&タイアード。
カタカナかっこ悪いね。Exciting but tired.
決断というのは、疲れるものですが、
他人任せにはできないのです。
他人の奴隷となるのではなく、また、何も従えず、
独立して歩いていきたいが、人生って大変ですね。
それでも前に進むのですよ。
自己啓発本を紐解けば、そこには、まず、目標あれ、と書いてある。
それはそうだ。目標があるからこそ、失敗したって何回も立ち直れるのだ。
この忙しい時期に、まじで、きついんだけれども、他の何人のためではなく、
自分、自分の家族のために、突き進んで行きたいと思うのです。
投稿者
えげれす
時刻:
21:35
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2008年6月29日日曜日
2008年6月11日水曜日
2008年6月10日火曜日
2008年6月9日月曜日
2008年6月8日日曜日
赤塚論
いつぞやか、朝日新聞に載った、丸谷才一さんの赤塚不二夫氏に関してのエッセイが忘れられない。
本では「袖のボタン」に入っています。
単なる赤塚氏に対しての愛情、現代への風刺をまとめたものではない。
丸谷さんのもっている知識をすべて掘り下げて書いたような、恐ろしいと思えるぐらいの深みがある文章なんです。読むたびにその深みが一つ一つ明らかになり、そのたびに新たな発見がある文章なんですね。
いったい、この人の頭の中身はどうなっているんだろう。確かにものすごい読書家で、恐ろしいぐらいの小説家、文筆家なのですが、それだけで言い尽くせない、怖くなるぐらいの知識を持っている。日本語論も市井の下世話な話も、すべてさらりとした、水が流れるような文章ですませてしまう。だけれども、その内容は、どんな濃厚なスープも比べものにならないほどの滋養にあふれている。滋養どころか、一滴口に含んだぐらいでも、鼻血が飛び出しそうなぐらいの勢力が詰まっている、そんな文章だ。
氏のエッセイには必ず、引用先書物が紹介されている。これをすべて読んだとしても氏にはかなわないだろう。だけれどもこの赤塚不二夫論はこれからも愛読していきたい。
こういった文章を書きたい。本当になりたい。
2008年6月7日土曜日
Gary Brooker
さて、先にAlan Parsons Projectのlimelightを貼り付けていますが、
歌うのはGary Brookerさん。
この人はProcol Harumを作った人なのですね。
60年代はまだ疎いもので、彼らの作品にも精通している訳でもありませんので、
この辺は聴きながら知識を得ているという状況ですね。
ちゃんとライブもあります。
で、このProcol Harumはこの曲で有名なのですね。
ええ、80年代にはそこそこ詳しいので、わざと彼らのバージョンを貼っています。
洋楽のこういうつながりって面白いですねえ。
点の集まりではない。必ず線ができるのです。時系列を飛び越えた線。だから、飽きないのです。
もうすぐ百回目の書き込みとなる。
したがって、初心に返りミュージックライフからひとつ。
1984年3月号。表紙はGary Moore。この号の最後の写真のひとつにYesが写る。
このころ。
多くのファンを魅了した60年台、70年代前半を経て80年代に復活した、Yes。
今でも現役だけれど、アルバム90125以降はそのファンを喜ばせたり、がっかりさせたり、本当に紆余曲折の多いバンドです。Talkなんて、がっかりアルバムと呼ばれたりしていた。
ASIAの流れといい、尾念のプログレ人がポップスの領域に伸びてきているのは面白いのですが、この辺が賛否分かれるところなんですね。
2008年6月3日火曜日
2008年6月2日月曜日
舌足らず
どうも昨日書いたことは、舌足らずなんで補足。
要は、「ある特定のジャンルを代表するバンドだからといって、それだけで崇め奉られることもないし、それだけで貶められることもない」ということ。できれば、そういう評判だけじゃなくって、聞いてから判断しようよ、ということ。こういうこと書くと、音楽ジャーナリストをすべて否定するように読めますが、そんなつもりはないのですよ、と苦しい言い訳をしてみる。
でも、昨日ようつべで、Rainbowの絵を探していていい言葉に出会った。
Rainbowはパワーメタルを初めて世に送り出したバンドだってこと。
この曲のことですね。
すげえ、世界にはこんなのがいるんだよ!!
2008年6月1日日曜日
再評価
レインボーの再評価が個人的に進んでいるんですねえ。
レインボーは、某音楽誌の思い入れが強くて、聞く人、その個人なりの意見、感想が持ちにくいバンドなんですね。どうも雑誌の影響が強いのですよ。
したがって、その雑誌が扱うジャンルの音楽が嫌いな方々からは、そのジャンルの代表格のように思われていて(もちろん、そうなのだけれど)、特に激しいバッシングやイグノラントがあるように思えるのです。
でもねえ、そんな偏狭な扱いをされるバンドでは決してない。
最近よくに聞いているのは"Gates of Babylon"なんですが、これ、ロックというジャンルを軽く超えているところもあるように感じられる。
特にギターソロの部分なんか、神々しさまで醸し出すような雰囲気で、この曲はまずギターソロから作られたのでないだろうか、と思えるぐらい、この曲の重要な部分だと思うんですね。
できるだけ純粋に聞こうとするとなると、どうしても雑誌の影響が障害になる部分があるんです。リッチー、ロニー、コージーの三頭政治(英語ではHoly trinityとあった。)とかそういう謳い文句で扱われる場合が多い時期で、そういう風に言いたくなるのもわかるのですが、
やっぱり、自分でどう感じるか、どう評価するのか、ということを考えると、どうしても邪魔に思えるところもあるんです。
曲の評価は千差万別。人の評価も千差万別ですが、できれば自分の考えを前面に出して味わいたいですね。記事や雑誌は参考にはなりますが、それに支配されないよう、できる限り踏ん張っていたいと思います。
2008年5月31日土曜日
マドンナ
マドンナさんが、また最近出てきて、活躍しておりますが、確かに50歳になったとは思えないほどのルックスでありますね。変わらない美学の代表でしょう。(年相応の美学というのもありますが)
さて、そのマドンナさんもブレイクしたのは、80年代のlike a virginからで、当時中学生のしょう私らは、「ヴァージン好きって、どういうことよ」と無知をさらけ出していたものでした。
正しく意味を理解できたのも、ベストヒットや、全米TOP40などの当時の番組のおかげなのです。
さて、マドンナさんが出たときは、新人の女性歌手が頻繁に出てきた時でしたが、今残っているのは、彼女とシンディぐらいでしょう。恐ろしいと言うか、はかない、と思うかは人それぞれ。
マドンナさんは、もちろんlike a virginで有名になりましたが、その前、Borderlineでのヒットのほうが、個人的には印象に残っているんですね。不思議。
舌足らずな歌声が強烈だったのかなあ。思春期に感じた女性の声なんですね。
2008年5月28日水曜日
自分の小さな箱から脱出する方法 読了
昨日のは余興です。あしからず。
「自分の小さな箱から脱出する方法」を読みました。
ストーリー仕立てで、読みやすい。面白かったし、ためにはなりそうだ。
自分の態度を変えれば、相手は変わる、それで世界は変わる。
これは別に真新しい発言ではないのだ。その昔、「ひょうきん予備校」という番組があって、
そこに講師役として出演した、ハナ肇氏も同様のことをおっしゃっていたことを覚えている。
今流行のシークレットも、マーフィーさんの本も、結局はこのことを述べているのだという気になる。
結局は「自分しだい」ということなのでしょう。
でも、この本、におうんだよなあ。何なんだろうキョーレツな臭い。電車の中で読んでて、うたたねしても、臭いで目が覚めた。おすすめ。
2008年5月27日火曜日
オジギソウから薬物発見
ねむのき科、多年草で熱帯アメリカ原産であるオジギソウから、人間に覚醒作用を及ぼす薬物が検出されたと、国立医科学研究所が28日、発表した。
人間体内に摂取されると、滞留時間が長く、幻覚作用を及ぼす恐れがあることから、厚生労働省では、今後オジギソウの駆除に乗り出す考えであると発表したため、気軽に楽しめる植物として人気のあったオジギソウが、無くなってしまうと懸念する声が上がっています。
この物質はアルファ-オジギトシンとよばれ、体内に入り込むと覚醒作用、緊張作用を起こすことがあると指摘されています。特に腰部の筋肉への緊張、弛緩に与える影響が強く、いったん発作が始まると、緊張、収縮が繰り返され、本人の意識と別に、まるでお辞儀をしているような動作を繰り返すことがあると発表されています。
このため、特に営業マン、政治家の間で、オジギソウの大量摂取の恐れがあるため、やむなく駆除を検討することになったとのことです。
筋肉への影響ばかりか、ありもしない顧客、無党派層の幻覚が出てくるとの研究も公表されており、身近な植物に潜む危険性を指摘する専門家もいるとのことです。
2008年5月27日
2008年5月26日月曜日
キムタクさんにみること
キムタクさん主演のドラマを妻が見ていたため、ついでに飯を食いながら見てみる。
これならば二方面へのパロディ・ドラマになりそうですね。
ひとつは政治、政治家に対してのパロディ。もうひとつはキムタク様自身へのパロディです。
前者はこのドラマの主要なテーマだろうから、特に触れません。話が進むにつれてどんな展開になるのか、お楽しみに、といったところ。
それで、後者ですね、自分自身に対するパロディをどこまでくりひろげられるか、
ここがポイントだと思うのです。
日本も大統領制にすれば、人気投票でキムタクさんが、選ばれる、というジョークを聞いたことがあります。そのキムタクさんが、首相の役をやるんですよ。
もしこのジョークをご存知であれば、何かの形でエピソードを組み入れられれば、深刻なテーマの中にも、かなり風刺のきいたいいドラマになると思うのですが。
キムタクさんが、どこまで自分を知っているか、自分自身のパロディができるのか、結構面白い見方だと思いますよ。
2008年5月25日日曜日
ニュース系ブログ
ニュース系ブログというのがあり、それぞれの視野にたったニュース、情報をブログを使って配信しているというところが多いです。
それぞれ読ませる工夫にも最新の注意を払っていて、いかに伝えるか、常に切磋琢磨している様子が伺えます。
ブログとは何か、読ませるとは何か、といった内容の記事が多いんですね。
ブログを書く人なんて、ほとんどが、それを職業にしていない人が多いと思います。
そうした人たちが、書く、読む、などのスキルを意識しながら運営しているのですね。
文章を書くコツ、というのは確かにあるのでしょう。ブログの目的意識もありますが、
自由な記述ができる場所でも、パブリックにすることへの礼儀というか、最低限のルールを意識しているということでしょう。いろいろな反響、感想があるのかもしれませんが、ブログ管理運営者で、こうした意識が半ば自発的に生まれるというのは面白いですね。
彼らはそうした意味では、プロなのですよ。私も見習いたい。
読書中。
ブックオフで、「すべては音楽から生まれる」を発見、購入し読み始める。まだ読了はしていないが、読みやすいしわかりやすい内容。抽象的な表現を避け、噛み砕いている表現がまたいいんですね。
ライブとしての音楽を、真正面から、個別に分析するのではなく、全身でぶつかって体感する喜び。これにはポップスも含まれるだろうし、まあ、程度の違いこそはあれ、あたくしも茂木さんとこういった体験を共有し手いるのかもしれない。
クオリアという概念がよく飲み込めていませんが、「分析不可能なもの」とでもいうのでしょうか?
音楽から得られる感動、全身がビリビリする気持ち、経験を表すのにはぴったりとした概念なのかもしれません。
音楽論なんて人それぞれ。だけど、ここにあるのは純粋な音楽に対する喜びと感謝ですね。
いい感じの内容になっていると思います。
2008年5月21日水曜日
2008年5月19日月曜日
Cheap trick論
いやあ、やっぱり、時代はチープなのですよ。
好きなバンドのひとつなのですが、
その魅力は、説教臭くない、というところなのですよ。
もともと美形の二人と、コミカル担当の二人のコントラストが見事なバンドなのですが、
その美形も偉ぶることなく、きちんとバンドの仕事をしている点がいい。
活動自体も地味なものなのでしょうが、危機も乗り越えて未だに活動をしているという点が
何よりもすばらしいのですよ。
もちろん、最初にヒット曲、名アルバムがあるから、その後の活動はこれら遺産に載ったものともいえるのですが、彼らは未だにアルバムを発表しているし、自分たち中心で曲を作っているのです。
変にシーンを気にすることなく、自分たちの方針を曲げずに活動を続けることは難しいですよ。それをごく当たり前にやっている彼らはそれだけでレスペクトできる存在です。
えばらない、説教しない、地道な活動。ここがすごいのです。
2008年5月4日日曜日
いやあ、時間が経つのははやいっすねえ。
何もしない間に3ヶ月が過ぎようとしています。
いやあ、やだねえ。
Music Lifeも読み返しているのですが、最近の洋楽の低調さを見ると、いい時代だったなあ、
というのが感想になってしまう。感傷かな。そんな年になったのかな?
でも感傷で終わらせるのではなく、当時のバンドでも、個人でも未だに活躍している人が多い。
先週、NHKでやっていたCyndi Lauperもそうですよね。
ということで趣味100%で、もう少し、彼らを追いかけていきます。
でもyoutubeがつながらないんだよねえ。なんでだろう?
2008年2月17日日曜日
2008年2月12日火曜日
2008年2月11日月曜日
2008年2月9日土曜日
影響力を持った曲
洋楽、邦楽を問わず、その時、その時代の文化、風俗に影響を与える曲、音楽というのがなくなった感じがする。
いろんな理由があるのだろう。もちろん、あたし自身の思い過ごし、気のせい、というのもあるだろうが、その年を代表するメロディ、歌詞というのは減っているような気がする。
去年で言えば、千の風、とかおしりかじり、ぐらいがその代表曲となるのだろうが、他にあるかなあ。
歌謡曲としても、洋楽としてもこれがあるじゃない、といえる曲が無い。そう思えてしまう。
CMソングや、ドラマの挿入歌でも昔の曲が使われる頻度が増えてきたように思える。
タイアップソングも一息ついたという事なのでしょうか。
昔はよかった、というだけですまないような気がする。NHK紅白歌合戦が低調なのも、邦楽全体が落ち込んでいることの反映とも考えられるし、今話題の歌手の代表曲がそもそも分からない、というのはかなり深刻な状況だと思う。
商業主義が個性を殺して、歌手の類型化を招いている、という面もあるのかなあ。飛びぬけた人たちというのが、表にでてこないし、活発なのはインディーズ、という状況も分かるような気になってしまう。
平和ソングは「イマジン」だけではないし、メッセージソングはU2とレイジだけのもではない。もっとその年に影響を与えた、代表する曲がもっと出てきてほしいと思います。
2008年2月3日日曜日
2008年2月2日土曜日
2008年1月30日水曜日
来日情報
さてさて、今号の来日情報ですが、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンなる、バンドの来日が載ってますが、
場所は、東京後楽園ホール(笑点でおなじみ)と、大映太秦撮影所A2スタジオ。
ノイズの先駆者として知られたバンドのようですが、残念ながら私は未聴。
スタジオ借り切ってやるほどのライブとはなんなんでしょうか?
桜吹雪に金属音をまぶして、逆さにつるした暴れん坊将軍にサンダーの火の粉を浴びせるような
パフォーマンスをしたのでしょうか?
来日情報
さてさて、今号の来日情報ですが、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンなる、バンドの来日が載ってますが、
場所は、東京後楽園ホール(笑点でおなじみ)と、大映太秦撮影所A2スタジオ。
ノイズの先駆者として知られたバンドのようですが、残念ながら私は未聴。
スタジオ借り切ってやるほどのライブとはなんなんでしょうか?
桜吹雪に金属音をまぶして、逆さにつるした暴れん坊将軍にサンダーの火の粉を浴びせるような
パフォーマンスをしたのでしょうか?
みてみましょうね。
2008年1月29日火曜日
2008年1月27日日曜日
1985年6月
飛びますが、1985年です。表紙は未だに現役のBon Joviさま。
巻頭特集はWham!なんですけれど、中国公演大成功となっています。
当然天安門事件以前の中国ですよ。すごいですねえ。
しかも、絵もある。なんていい世の中なんでしょうか?
でも、この頃のWham!といえば、日本ではMaxellのカセットテープの宣伝でしょう。
私は、UDⅠを主に使っていました。安いんだもん。
90分テープで、友&愛でアルバム2枚借りてきて、両面に入れるという方法が
好みでした。ああーっなつかしい。
ハイポジのUDⅡは、よほど安いときか、新譜を気合入れて借りてきた時ぐらいしか使わなかったね。
と、思ったら、ありやんの。すごいねえ。ビデオ録画も一般的になってきたところだら、
何かの拍子で録画したものなのだろうけれど、いいねえ。
2008年1月13日日曜日
映画を見たよ。
アースを見る。
NHKで放映していたものを再編集したような内容であるが、やはりすごい映像。
どこから、どうやって撮影してるのか。
また内容もいろいろな想像力を駆り立てられる。
しかし、いろいろと解釈するのではなくって、
こういったことが、起きているということを丸呑みしなければならないのだろう、という気にもなる。
日本で編集すれば、お涙頂戴の感動巨編になるところだが、音楽も控えめで、ナレーションも大げさではない。抑えてあるからこそ、真に迫るものを感じるのだろう。
そういう意味であれば、音楽はもっと控えめで(無くても)いいし、
ナレーションも、俳優さんよりは、もっと有名なその筋のプロの人でもいいかもしれない。
人間が支配しているからこその地球。すべてと心中しますか?
2008年1月1日火曜日
今年はもっと更新したいですねえ。
まあ、始めた理由が、ML誌の読み返しなのですが、いろいろと書きたいことも出てくるものです。
(MLはまだまだかきますよ。)
今日は豊洲のララポートでポカスカジャンの芸を堪能したのですが、
こういった芸道の世界というか、演芸、芸術、もちろん音楽の分野でもそうですが、
こういったものと、私が在籍しているビジネスの世界というのが、どうしても相反する面がある気がするのです。
芸術で描く世界、こちらは人間的で、能動的な描き方が多いと感じるのですが、
ビジネスは、なんだか機械的、受動的な気がするのですね。
少なくとも芸術で扱われる人間的なものが、ビジネスで考えられる機械的なものと
相容れるものなのか、反発するのはなぜなのか、根本的な話で、芸術的な考えと
ビジネスの考えはそんなに違うのか、この点を考えてみたくなりました。
疑うというのは、哲学の出発点ということですが、どこまで考えられるか、挑戦してみたいと思っています。
みんなのうた
年末にやっていた、「みんなのうた」の特集。
HDに撮っていたのを見返す。
いまさらながらであるが、名曲ぞろいと、聞いていた頃が
思い返されるから不思議。
生活に密着したいい番組だと思います。
興味深いところもある。
「山口さんちのツトムくん」、「くまのぬいぐるみ」など女の子が主人公の
歌を男の子が歌っているし、
「コンピューターおばあちゃん」は一人称が少なくとも男の子を連想させるが、
女の子が歌っている。
この辺、逆転というか、歌詞と声の性別の違い(ギャップ?)が少なからず印象を強いものにしていると思う。
ジェンダーとまでは行かないと思うのですが(この辺は疎い)、そこまでの話にしなくとも、
この歌手の選び方というのは、面白いと思うのです。
来年も特集をするのであれば、ぜひ尋ねてみたい点ですね。