2009年3月22日日曜日

紀伊国屋書店 scripta

近所の紀伊国屋さんから、scriptaという、Free Magazinを入手。
Freeといって侮る無かれ、著名な作家さんが名を連ねているし、内容も硬軟様々で面白いと思います。なにせFreeなんですから、いらなければもって来なければいい。そういうスタンスで良いんです。

で、今回もらってきた中に、意味深な、記事がありました。
数年前に起きた、有名企業の女性社員の殺人を基にした現代社会論、ジェンダー論、男女論、とでも言うべきものです。

こういう文書を読むと、現代の問題点を浮き彫りにする手法に感心するとともに、考えさせられる面も多いのです。何を考えるって、この題材の扱い方なんです。

この事件は有名企業で収入も高かった被害者が、なぜ、実を売るような行為をしたのか、などなど、様々な形で報道され、この件も扱った本も小説も出たという有名なものでした。
確かにこの件を元に、我々が生きる現代社会を考えるとなると、受験、就職、男女雇用機会均等法など、いろんな切り口があるんです。ただし、いろんな切り口で考えたところで、それで、本当に被害者の真実を伝えているのかというと、そうではないかもしれないと思うのです。

なにせ、彼女はなくなっているのです。彼女の口から意見、考えていたことを聴くことはできません。

こういやって文章になるたびに、彼女は体を売り続けるのです。こういう感じになってすごくいやな気分になるんですね。
もちろん、この件を題材にする作家の方々は綿密な取材や思考の結果、発表していると思いますので、軽々しい点はないのだろうと思います。でも、そうやってできた著作はあくまでもその作者の発言の場であって、彼女の発言ではない、のでしょう。

今回のscriptaの記事の中にも、「彼女は体を売ることで、相手である男性に値段をつけていたのだ」という箇所がありました。この発言は、現代の男女の関係を鋭く抉り出す発言であると同時に、では、本当に彼女はそういうことを考えて行動していたのか、という不安、疑問が付きまとうんです。

作家さんが、こういう疑問を考えているのか、どういう風に処理しているのか、見当もつきませんが、特定の事件から、社会一般的な見解を導き出す際には、慎重にならざるを得ないでしょう。

私たちは、一体何のために、誰のために、現代社会を考える必要があるのでしょうか。