Net Radioを機会が多いです。特に新譜を買う予算に事欠く有様では、なおさらです。
こういう音楽媒体にはいろんな意見があるでしょうが。私は肯定派です。
なぜなら、たまにはこういう発見があるからです。
意外なところで自分好みの曲に会えたり、昔を振り返ったり、今のバンドを知ったり。
いろんな音楽との出会いができます。
管理人は、ただ音楽を流しているだけなのでしょう。本当に一期一会ですね。
2009年5月17日日曜日
Net Radioの楽しみ。
2009年5月10日日曜日
2009年5月9日土曜日
日経文庫
日経文庫は何冊か読んでいます。経済学の基本から、ビジネス情報まで網羅していて野心的だとは思うんですが、できれば、日経から単行本として出版されたものは、この文庫にすべて納めてもらいたい、と思うんですよね。
先日、暇に任せて、本屋に行った際、クルーグマン教授の経済学のちくま文庫版が出ていました。
もとは、単行本として、メディアワークスから出ていましたが、一時、日経文庫からも出ていたはず、なぜ、ちくまなのか?
と思って、ちくま版を読んでみましたが、日経版が絶版になったとのこと。
その後のクルーグマン氏のノーベル賞受賞とか、ブッシュ批判、経済危機など、クルーグマン氏が表舞台に立つ場面は多いので、それでも絶版だったのか、と驚きました、正直。
出版社の事情はわかりませんので、感想のみになりますが、こうした経済本というのは、流行廃りはあるものの、過去の分析、過去の経緯などを辿れるということからも、できる限り手に取りやすい形で出してほしいと思うのです。多少古くても、経済史、経済学史的にさかのぼることもできるでしょうし、そういう意味が、文庫化にはあると思うのです。
だから、ねえ、もったいないと思うんだよね。まあ、買う人が少なければ仕方ないんだけれども、でもねえ、ブックオフで手に取るともできるんだから、内容のある書物はなんとか、長生きできる方法を探してほしいと思います。
したがって、こういう並べ方もできるのですね。なんだか、すばらしく、いやみっぽいですね。
2009年4月1日水曜日
ドリフターズ
またなんか、ドリフ関係の再放送特番をやっているようで。
全員集合の前半の長編コントは今ではすっかり見なくなったスタイルですね。
一つのコントの中で、いろんなギャグをつなげて、起承転結を作り、最後に大きな仕掛けのオチで閉めるという形。
もちろん、ドリフのやっていたことには、型があって、それがマンネリになっていた、という
面も合ったんですよね。でも、現在の一発ギャグが多くなったという風潮では、ドリフのようなギャグ、コントを作る作家、芸人さんというのはいないのかもしれません。
面白ければいい、という考えもあり、と思います。でも、いろんなタイプの笑いがあっていいですよね。こういった長編コントがなくなってしまったのは、やはり残念。いろんなタイプの笑いを詰め込んだ、コントもやはり面白いんです。
でも、貼るのはなぜか、せんみつ・湯原です。
2009年3月31日火曜日
Rat Patrol
まあ見てください。
昔見てましたよ。
コンバットは、再放送してますが、これはまだですね。
ドイツの戦車役も、ハーフトラックの役の車両も思いっきりアメリカ製です。
でも、そこがいいんです。それでいいんです。
2009年3月25日水曜日
RUSH is not major in Japan
さて、RUSHというバンドは、そのキャリアと海外での人気に比べると、日本では極端に認知度が落ちるバンドなんですね。
とっつきにくい、という印象を与える理由は、ボーカルのケロケロ声とか、ギョロ目とかいろいろあると思いますが、バラードがない、というのも大きな理由と思います。
バラード好きですよね。うん、私も日本人だから、もちろんいろんなバラードを聴きますが、
RUSHには、バラードがない、全く無いんです。
この曲は、バラードっぽく始まりますが、途中から雰囲気がガラッと変わります。
裏切られたという感もありますが、これがRUSHというバンドの特徴なのでしょう。
2009年3月24日火曜日
発見
最近、ネットラジオをよく聴いていて、その中で、Three dog nightが「Eli's coming」を歌っているのを発見しました。
全然有名な曲ではないのですが、British rockでは有名なAffinityというバンドも演奏してたりして、(なんと、シングルにもなっている模様)ちょっと出所が気になりました。
オリジナルはLaura Nyroという女性シンガーソングライター(死語)だそうで、
音楽ファンを名乗っている割には、彼女の曲はまともに聞いたことはありませんでした。
でも、まあ、そんな厳密なことは言わないで、こうやって、三つのアーティストが、一つの曲でつながったから、良いじゃありませんか。
そういうことにて、この場を終わりにしましょう。
しかし、これ、完全に口パクですね。ドラムのやる気のなさといい、ボーカルのずれ方といい、もう完璧です。
2009年3月22日日曜日
名著誕生 資本論
読みましたよ、ええ。
世の中には読むことを避けられない本があって、経済学における資本論もその中の一つです。
でも自分は読んでません。○経の講義はありましたが、その際は、ソ連が崩壊した翌年です。
いきおい、資本論のことを軽々しく考えていました。
で、導入としてこの本を手に取ったわけです。いまからでも、経済の勉強をするのですよ。
読んでみて思ったのは、価値の考え方だと思います。
労働価値説については、アダムスミスさんも言っていましたし、その考えに、マルクスさんも賛同するわけですね。翻って現代、労働価値説は軽んじられている、というか限界価値説が有用に扱われている気がします。それでは、労働価値説はあてはまらないのか。そんなことはないのでしょう。では労働価値説を一体どう考えれば良いのか。
間違いなく、この点が考え方の違いの原点なんだと思います。
物品、サービスの価値とは何か、この問題には惹かれるものもありますが、根本的な問題だからこそ難しい。素人が触るところではないのかもしれません。
でも、考えることならば大丈夫だよね。
紀伊国屋書店 scripta
近所の紀伊国屋さんから、scriptaという、Free Magazinを入手。
Freeといって侮る無かれ、著名な作家さんが名を連ねているし、内容も硬軟様々で面白いと思います。なにせFreeなんですから、いらなければもって来なければいい。そういうスタンスで良いんです。
で、今回もらってきた中に、意味深な、記事がありました。
数年前に起きた、有名企業の女性社員の殺人を基にした現代社会論、ジェンダー論、男女論、とでも言うべきものです。
こういう文書を読むと、現代の問題点を浮き彫りにする手法に感心するとともに、考えさせられる面も多いのです。何を考えるって、この題材の扱い方なんです。
この事件は有名企業で収入も高かった被害者が、なぜ、実を売るような行為をしたのか、などなど、様々な形で報道され、この件も扱った本も小説も出たという有名なものでした。
確かにこの件を元に、我々が生きる現代社会を考えるとなると、受験、就職、男女雇用機会均等法など、いろんな切り口があるんです。ただし、いろんな切り口で考えたところで、それで、本当に被害者の真実を伝えているのかというと、そうではないかもしれないと思うのです。
なにせ、彼女はなくなっているのです。彼女の口から意見、考えていたことを聴くことはできません。
こういやって文章になるたびに、彼女は体を売り続けるのです。こういう感じになってすごくいやな気分になるんですね。
もちろん、この件を題材にする作家の方々は綿密な取材や思考の結果、発表していると思いますので、軽々しい点はないのだろうと思います。でも、そうやってできた著作はあくまでもその作者の発言の場であって、彼女の発言ではない、のでしょう。
今回のscriptaの記事の中にも、「彼女は体を売ることで、相手である男性に値段をつけていたのだ」という箇所がありました。この発言は、現代の男女の関係を鋭く抉り出す発言であると同時に、では、本当に彼女はそういうことを考えて行動していたのか、という不安、疑問が付きまとうんです。
作家さんが、こういう疑問を考えているのか、どういう風に処理しているのか、見当もつきませんが、特定の事件から、社会一般的な見解を導き出す際には、慎重にならざるを得ないでしょう。
私たちは、一体何のために、誰のために、現代社会を考える必要があるのでしょうか。
2009年3月21日土曜日
対象年齢不問の絵本
子供をつれてよく本屋さんへ行きますが、子供から目を離すこともできないので、
そのまま絵本コーナーで、時間を過ごすことが間々あります。
昨日は、そんな中で、子供が面白い絵本を見つけ、ゲラゲラ、一人で笑っていました。
絵本というのは、子供を対象にして書かれたものが多いのですが
中には、子供ばかりでなく、親や、もっと年配の方も楽しめるものが少なくないようです。
子供が見つけたのが、「うえきばちです」という本。
とっぴな発想から、言葉を掛けて、豊かな発想に至っています。
豪快な絵と、意外性のあるエンディングで、本当に面白いですね。
こういう発想はできなかったなあ、今からでもできるのかなあ、と、
自分の脳みそに問いかけてみたくなりました。
投稿者 えげれす 時刻: 9:36 |
2009年3月20日金曜日
自分の夢を思い出す。
この年になってくると、昔考えていたことなんか、忘れてしまうことが多いのだが、
ひょんなことから、思い出すこともある。
「まっとうな経済学」という本があって、何度か読み返しているんですが、
経済学の基本的な考え方を、イメージしやすい例をあげて説明しているんです。
著者は、アメリカのエコノミスト。
この考え方を伝えるということが難しいんですね。
特に、日本の経済本、最近では簡単な本も増えているとはいえ、外国の経済学者のような、
しゃれたというか、非常にこなれた形で著作を表すというものが無いような気がする。
経済学の考え方は、やはり欧米流、アングロサクソンの考え方が強いので、
日本語で説明しづらい、という点はあるでしょう。(そのため、経済用語は、外国語を訳した、漢語が多い。)
こうした考え方を物語、エッセイなどの形で表すというのは非常に難しいんですよね。
そう、ここで思い出した。自分の夢ですよ。
私は経済学部に入った頃、こういう著作をかけるような、経済学者(または、経済に携わる人間)になるということを夢にしていたのですよ。
ええ、この夢は、私の怠惰のおかげで、かなえることはできませんでした。
だからなのかなあ、こういう本には興味が強いんですよね。
この本といい、Tシャツを追い掛け回す本といい、本当に読むべき経済本が海外の著作が中心というのは、なんか面白くないなあ。
2009年3月17日火曜日
アウトプットをすること。
本を読む。音楽を聴く、テレビを見る。映画を見る。どれも面白いことだが、インプットに当たることである。自分の体内に取り込んだこと、頭に叩き込んだことを、どんなことでも良いから
外に出すことが必要なんだよね。
ブログは自分の中に出てきたひらめき、考えなどを書くのにうってつけだとは思う。雑音が入る余地はあるけれどね。でも、こうやって発表してみて、人の意見が聴けるというのは、エキサイティングなことだと思う。
反応が無くてもいいんだ。こうやって文章にすることで、自分なりに考え方がまとめられるし、
次に考えること、考えてみたいことのヒントが出てくるときもある。
こんな些細なインプット、アウトプットの繰り返しでも、自分の考え方を深めて行くことができる。不遜にならない程度にする必要はあるけれどね。
2009年3月15日日曜日
作るということ。
作るっていうことが重要なんだと思う。
私も、かつてはプラモデルや、模型や、パンフレットや、作曲や、
作るということを趣味にしてきたし、生活の中心にしてきました。
でもそれをいつの間にか忘れてしまった。そんな気がするんです。
作るという自体はアウトプットです。それにはインプットが必要になります。
自分が希望するもの、アレンジしようとするものを、どのように思い描くか、
時間をかけて調べ、悩み、苦しみながらもそれを形にするという作業は、
決して簡単なことではないのですが、作ったものがまたインプットになり、
また新たな意欲というものが出てくるのです。
作るということを忘れるということは、このインプット、アウトプットの連鎖を
断ち切ってしまうことなんですね。
それまで身に着けてきた技術や、勘所というのも忘れてしまうと、再び作る、という
ことに戻るのは大変になります。時間がないとか、興味がないとか、そういういいわけが増えると、もう簡単には戻れなくなるかもしれません。
今の私がこういう状況になっているのかもしれません。日々の雑多なことに忙殺されすぎているかもしれません。
だからこそ、もう一回、作るということに興味をもち、できればかつての情熱を取り戻したいと思います。そして、自分の生活自体も作る、そういうことにしたいんです。
いや、子供にせがまれて、車のプラモを作り始めたのですが、これが面白くって、かつての感覚を思い出したんです。色が無くって、中断気味ですが、今週、スプレーや筆塗り塗料を買ってきて、一気に作りたいと思います。
プラモにだって、それなりのインプットを持っていないと、取り組めないんですよ。
2009年3月10日火曜日
メタルゴッドたちのお言葉。
前にも書きましたが、"Time Flies When You're in a Coma" という本が面白いです。
まだ日本のamazonでも、レビューはされていないようですが、たまたま、ララポートの本屋でこの本に出合えたことはラッキーなのかもしれません。
内容は80年代に活躍したメタルバンド(俗称、ヘアメタルが主流)の詞の一部を写真とともに紹介し、メタルゴッドたちが如何に精神性にあふれたありがたいお言葉を残しているかをありがたがる、というものです。
だいたい一神教の合衆国で、メタルゴッドと名乗る本が出ること自体、社会を舐めたところがある行為かもしれませんが、装丁もしっかりしていますし、コンセプトも面白いので、興味のある方は、探してみてください。ちなみに、書店売りより、amazonのほうが安いみたいです。
また、神々の言葉にはさまれ、悟りを促す方法も書かれています。
ためしに、Zen Questionsを訳してみるとこんな感じです。
禅問答とは、己の真の姿を発見する道なり。禅問答は、本質的にディレンマであるため、従来通りのお決まりの考え方では答えられないのである。ゆえに、回答の妥当性というものは、問題と同様に、あなた自身がどう考え抜くかに拠っているのであるが、回答は時に自分が正しい答えを発見したと思った場合に、確信されるものなのである。
禅問答は、一日に6回自問自答され、それぞれ6分間考え抜き、これを一週間に6日おこなうべし。これを「666の掟」と云う也。
まず、気持ちの落ち着く、静かな場所で、声を出して、汝のメタル禅問答を繰り返すべし。言葉が汝の口より、雨露のごとく染み出すよう唱え、その後に訪れる静寂を味わうべし。心を使って考えるべし。頭で考えるのではない。直感を信ずるのだ。さすれば「答え」となるべきものが、徐々に現れてくることに気づき始めるだろう。そうしてであったものに、汝は驚き、腰を抜かし、場合によっては、吐き気を催すほどむかつくかもしれん。しかし、心配すること無かれ。それは暗黒より出でし、汝の真の姿なのだ。
汝の心を混乱させ、汝自身の本質に共鳴する回答に行き当たったとき-そう、ただそのときにのみこそ、汝は新たな自信と悟りの境地を抱きながら、また新たなメタル禅問答に進んでいくがよい。
なかなかいい感じでしょ?こういう本が出てくるところ、アメリカ文化のの懐は深いのですよ。
2009年3月4日水曜日
赤頭巾ちゃんご用心
会社の先輩に同行して、平塚あたりまでプレゼンに行っていたのですが、
その方が、結構な音楽ファンでして。盛り上がっちゃったんですね。
いきなりラウドネスから始まったと思ったら、次はレイジーでした。
10年ぶりぐらいじゃないかなあ、赤頭巾ちゃんを聞くのは。
典型的なアイドルソングですが、今聞いてもやっぱり恥ずかしくなる、そんな名曲です。
その次にはCCBを聴いて、サウンドはいいじゃねえか、と再確認。面白いもんです。
いろいろな発見がありました。
で。ここでは赤頭巾ちゃんを貼るところなのですが、いいのがないのです。
埋め込み禁止だったりしてね。
全曲はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=Jbnwg-CmaXM
発見ついでに、この人もカバーしてるんですね。
でもこれは、前奏が消えていて残念。やっぱり、デデデデッというのが無いと寂しいです。
投稿者 えげれす 時刻: 21:44 |
2009年3月3日火曜日
2009年3月1日日曜日
今日の記事
Why the Japanese Hate the iPhone | Gadget Lab from Wired.com
日本ではiPhoneはなぜ売れないのか、という記事なのですが、
ただ、携帯メールの使い勝手が悪いから、だと思うのですがいかがでしょうか。
確かに携帯のブランドだと、国産が圧倒的なんだけれど、iPod自体はそれなりに売れていると思うのです。
記事にするのであれば、「日本人はなぜ、電話ではなく、メールでのコミュニケーションを選んだのか」にしたほうが妥当だと思うのですが、いかがでしょ。
2009年2月28日土曜日
2009年2月15日日曜日
知識人とは何か
これもいまさらながらですが読みました。
でも私は「オリエンタリズム」すらまだ読んでいないので、サイード初心者なのです。
知識人へ対する辛らつな内容となっていますが、ここまで規範的な定義を読まされると、
そんな人物はこの世に存在しえるのか、という疑問が出てきます。
でも、この定義、
「知識人とは、亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには
権力者として真実を語ろうとする言葉の使い手である」には、パレスチナ出身で、アメリカで修練をした著者であるからこそ語れる、語らねばならない定義なのだと思います。
ここで興味深いのは、知識人は世俗であることと述べていることです。
ハイルブローナーという人は経済学を世俗の哲学と呼んでいますが、ここで言われている世俗という意味と、ほぼ合致するのではないかと思います。
経済学も、政府や議会が考える政策に対し、対立した見解を述べる場合が多いですね。こうした、権力に抗い、言論をもって信実を語るという点では、経済学の世俗性と、サイードの言う、知識人のあるべきすがたの世俗性というのが重なる部分が多い、という風に感じております。
この本の内容を咀嚼するためには、もっと読まねばなりませんね。
現代思想のベースになっているということでは、疑問の余地はないでしょう。
アイデアの作り方
ジェームズ・W・ヤングの著作である、「アイデアの作り方」。
非常に有名な本で、広告等の企画系の方であれば、まず目を通しているでしょう。
いまさらながら再読。
アイデアの作り方の肝は非常に簡単で、要はインプットを醸成させる、ということです。
本自体も非常に薄いものなので、論旨も明快、といったところですが、
個人的にはこの結論以外にも気になるところがありました。
それは、情報のインプットについての記述ですが、本書の最後の方で
「辞書が短編小説集」であると書かれています。
辞書を読む、という表現がありますが、このヤングの記述もそれに似ているでしょうね。
リファレンスのみならず、辞書からその言葉、減少の内奥をつかめ、ということなのでしょうか。非常に含蓄のある言葉だと思います。
確かに、辞書を小説と同様に読みこなすことができれば、アイデアは限りなく出てくるものなのかもしれません。
本書は、他にも広告に携わる者は、社会科学の勉強、
「有閑階級の理論」や「孤独な群衆」を読んだ方がいい、とも言っています。これも社会全体を理解するように努めることへの忠告だと思います。
薄さと結論によって、本書は非常に簡潔な論文と読まれている場合が多いのかもしれませんが、こうした行間に、鋭い含蓄があるのです。この点が読めないと魅力が半減する書物かもしれません。
2009年2月11日水曜日
マクドナルド、1月の既存店売上高は7.1%増
ニュースサイト/ブログの存在って面白いと思う。早速まねする。
マクドナルドの売り上げが伸びたとかで、早速ニュースになっています。
ついこの間も、売り上げが落ちたら落ちたで、話題になるんだから、本当に忙しい会社ですね。
で、今回の売り上げ増のニュースですが、結局は、不景気からなる給与の伸び悩み(またはカイコされてしまった)の影響から、高くつく外食を避けて、手軽な料金で楽しめる、マックに移行した、いわゆる、所得効果(可処分所得が下がったから、消費を抑える)だと思うのです。
ただし、報道をみると、なにやらマック側に経営上の秘策があって、それがために功を奏したものである、という論調になっているような気もしますね。
まあ、ここでいう消費額を抑えたという影響が本当であれば、マックはじめ、他の低価格で勝負している飲食店(吉野家、富士そば、などなど)の決算も待たねばならないでしょう。
こういった結果を見れば、所得効果であったのか、マックの創意工夫がすばらしかったのか、すぐわかるはずです。少なくとも、このタイミングまでは、マックを礼賛するべきではないのかもしれません。
所得というのも、incomeの漢語訳にになるのでしょう。やまとことばだと、実入りとか、もうけとか、そういうことになるのかな。
経済学用語も漢語が多い分、想像しやすいが、説明はしにくい言葉が多いですね。
もっと簡単な言葉で経済、しいては社会のことを説明できるように、日本語の感覚を研ぎ澄まして行きたいと思います。
日本語の21世紀のために
また読んでみましたよ。
気骨あふれる爺、二人による対談集であるが、中身が濃くって面白い。
特に、伝達の手段としての日本語のみを重視したために
標準語を作ったのはよいが、思考の手段としての日本語としての役割をおざなりにした、
という指摘は、示唆に富んでいて面白い。
日本語を思考のツールとして利用していく限り、必ず言語の壁、ここでは標準語の壁にぶつかるんですね。
また、書き言葉が早いうちに日本中に広まっていた、という点は、網野さんの日本史の本でも
指摘されていたことです。
書き言葉が広く普及し、それを理解する人が全国にいたからこそ、中央集権的な国家が日本に成立したという点ですね。
ここで、みんなが理解できる、伝達としての機能は申し分ないものとみることができるでしょう。
日本語を使っている限りは、何度もこの本を読み直して、自分が使っている言語が一体どういうものか、時間はかかろうとも、考えるべきだと思う。自分の使っているものが、実はどういう性質のものか知らないようでは、それを使って書いている、Life Hack、成功本など、いくらあっても意味がなくなってしまうかもしれません。
2009年2月8日日曜日
経済学に感じるもの
経済学部出身ということもあって、今もそういった類の本をよく読むんだけれども、
閉塞感というか、視野が広がらない、という感覚を覚える時がある。
経済のことを考えるに、経済学のみを手段として臨んでいるところに問題があるように感じるのです。
ハイルブローナー氏の著作によれば、経済学は、「世俗の哲学」ということになります。
経済、または経済の見地から社会を捉えるということに対して、経済学ばかりでなく、他の分野の考え、思想も含めて考えるというのは、非常に有効なのではないかと、思うのです。
行動経済学など、心理学など人間の行動を視野に入れた研究がなされていますが、経済活動や運営、政策は、もっと、その時代の考え方の趨勢に影響を受けている場合があると思うのです。思想といってもいいのかな、なんかその時代を彩る考え方とかそういうものなんですが、うまく言えない。
田中角栄氏の経済政策についての是非について、「あれは趣味が悪い」という丸谷才一さんの意見を読むと、経済学者には到底思いつかないような発想だなあ、と感じ入るのですね。これは経済学者からは絶対に出ない意見だと思うんです。でも、的を射た意見ですよね。
こうした思想的、文学的な発想がやはり足り無し気がします。世俗の哲学というからには、ユーモアを含んだ批評が実は、大切なのかもしれないですよ。
2009年2月4日水曜日
怠惰な自分
何かになりたいと思っていても、怠惰な自分がいるわけでして、
ずいぶん損ばかりしているような気がしますね。まあ、自業自得です。
新聞に載っている本の広告で、「著者はリーマン危機を予想的中!」なる宣伝文句を
目にする機会がありました。それも3人はいたと思います。
いくら予想していたとはいえ、回避することもできず、世の中不況の真っ只中ですよ。
こういう場合、宣伝文句ではなく、回避できなかったという自分の無力を嘆くのが普通だと思うのですが、そうではないのでしょうか。まあ、相手が大きすぎますけれどね。
せっかくの予想を、自身の著作の売り上げを伸ばすことぐらいしか役立てられない、というのも、なんだかなあ、と思うのですよ。
投稿者 えげれす 時刻: 0:10 |
2009年1月25日日曜日
扇動者たち
暗い雰囲気が世の中を覆うと、経済や政治、風俗、文化に対して持論を発表するものが多く出てきます。経済は復活する、よりいっそう落ち込む。日本は世界のリーダーたる存在になる、崩壊する。日本の文化はマンガだけだ、日本には古来より賞賛すべき文化が育まれている。
いったい彼らは何を根拠にこうした発言を行うのだろうか。
彼らの目的は何か。いったい何をしようとしているのか。
数々の知者を名乗るものが、事あるごとに予測をしているが、それが一体何の意味を持つのか。
ある事柄に対する予言が的中したからといって、それがなんの役に立つのか。
ある事柄に対して詳しいからといって、これからも彼、彼女の言うことが今後も当たると言えるのか。
回答なんて簡単に手に入るものではないのに、いともたやすく回答を口にする奴らは何を考えているのか。
彼らの発言に接するに当たり、より根本的な問いが重要になるのかもしれない。
2009年1月21日水曜日
2009年1月20日火曜日
表現いろいろ
英語の俗語表現、いわゆるスラングいうのは、単語の組み合わせから、意味が連想しやすいところが面白い。ちょっとした頭の体操という趣があるのです。
依然、某ページを拝見していたところ、学校では教えてくれない、11のルールというのを紹介しているところがありました。
http://bitsandpieces.us/2008/06/04/for-our-children/
紹介はこちら。
http://labaq.com/archives/51032297.html
ここの5番目、Flipping Burgersという表現ができます。
これ、訳だけ見ると、買ったハンバーガーをトレイごとひっくり返すような内容になっていますが、そうではないようです。
調べてみると、Flipping Burgerで、「それほど重要ではない仕事」というような意味になるようです。
ということで、ここの訳は、「そんなに重要そうな仕事に就いていないからといって、悔やむじゃないよ、それはチャンスと思うべきなんだよ」ということになるようですね。
直訳しそうになる表現ですが、こういった意味があるのですね。
2009年1月19日月曜日
seven ages of rock
邦題を書けば、NHKBS「みんなロックで大人になった」ですが、このタイトルの良さにも現れているように、楽しめた番組でした。
ロックの歴史というと、バンドやアーティスト名の羅列になってしまう場合が多いのですが、
この番組はそのときの社会、経済情勢をバックに、ロックがどう変貌してきたか、その変貌時のキーとなるアーティストは誰か、を中心に構成しているのです。
そのため、ビートルズとか、キンクリとか、大御所でも出ていないバンドは多いのですね。
でも、非常に丁寧に作られた、番組だと思いました。
こういう見方があるという事が非常に刺激になりますね。。
まあ、メタルか、パンクか、コアか、なんて争いがあったりするものですが、こういうロックの捉え方の前には、こうしたジャンルごとの言い合いは全く無意味に思えます。
そういうことで、ぜひ見るべき番組だと思いますよ。
投稿者 えげれす 時刻: 22:31 |
2009年1月18日日曜日
今年初の書き込み
ここまで何も書かずに来ましたが、まあ、別に問題ないし。
このところの不況ですが、経済の落ち込みどころか、もっと大きな影響があるような気がする。
それは、今までの成功本、自己鍛錬本の内容が、実はあまり効果が無いのではないのか、ということです。
金融の世界であるとか経済の世界のトップが、挙って躓いている状況をみると、エリートで、かつ合理的な行動を行っていた人々(少なくともそう思われている)も、たいしたこと無いのではないか、という疑問が出てくるのも当然かもしれません。
成功本をいろいろと読んでみた経験はありますが、その多くの論点は、ポジティブシンキングと目標を掲げること、の二点にあると思います。ただ単純に目標を持てば良いのか、それで世の中が開けるのか、こういう単純明快さが、これらの書籍の売りであると思いますが、その反面、単純であるからこその疑念もより現出しやすいと思うのです。
本の世界では、これからもこうしたジャンルはたくさん出版されるでしょう。でも単純なものよりかは、より奥深い、即効よりも、熟読が必要なものが出てくるかもしれません。
単純な内容の成功本の罪は、その単純な内容ゆえ、読者が考えなくなる、という点にあると思っています。われわれは成功者から学び取る必要はありますが、常に疑うという姿勢も必要だと思います。今回の経験は、即効を信じた故の失敗といえるかもしれません。かなり面倒くさい話ですが、われわれは常に迷い、常に疑うという姿勢が必要なのかもしれません。このとき、成功本は万人に共通する内容ではなくなります。だからこそ、成功者といわれる人の推薦を帯にして、買い手にその効果を信じ込ませる必要が出てくるのです。