2009年5月17日日曜日

Net Radioの楽しみ。




Net Radioを機会が多いです。特に新譜を買う予算に事欠く有様では、なおさらです。
こういう音楽媒体にはいろんな意見があるでしょうが。私は肯定派です。

なぜなら、たまにはこういう発見があるからです。

意外なところで自分好みの曲に会えたり、昔を振り返ったり、今のバンドを知ったり。
いろんな音楽との出会いができます。

管理人は、ただ音楽を流しているだけなのでしょう。本当に一期一会ですね。

2009年5月10日日曜日

アウトプット




摘まれても、切り取られても、インプットさえしておけば、無尽蔵にアウトプットできる、

そういう人物になりたいっすねえ。

土曜日の過ごし方

土曜日は、娘の習い事があるんで、たまに送り迎えをしたりするのですが、
その待ち時間、天気がよければ、屋外での読書タイムとなります。

9日は天気もよく、やや暑かったものの、風も心地よく読書には最適でした。

特に、習い事であるバレエスタジオの隣に、長唄教室があってそこの三味の音と、風にそよぐ葉っぱの音がいいノイズになって、より、読書が進んだような気がします。

そう、読書に合う雑音ってあるんですよね。小さな発見です。

2009年5月9日土曜日

日経文庫

日経文庫は何冊か読んでいます。経済学の基本から、ビジネス情報まで網羅していて野心的だとは思うんですが、できれば、日経から単行本として出版されたものは、この文庫にすべて納めてもらいたい、と思うんですよね。

先日、暇に任せて、本屋に行った際、クルーグマン教授の経済学のちくま文庫版が出ていました。
もとは、単行本として、メディアワークスから出ていましたが、一時、日経文庫からも出ていたはず、なぜ、ちくまなのか?
と思って、ちくま版を読んでみましたが、日経版が絶版になったとのこと。
その後のクルーグマン氏のノーベル賞受賞とか、ブッシュ批判、経済危機など、クルーグマン氏が表舞台に立つ場面は多いので、それでも絶版だったのか、と驚きました、正直。
出版社の事情はわかりませんので、感想のみになりますが、こうした経済本というのは、流行廃りはあるものの、過去の分析、過去の経緯などを辿れるということからも、できる限り手に取りやすい形で出してほしいと思うのです。多少古くても、経済史、経済学史的にさかのぼることもできるでしょうし、そういう意味が、文庫化にはあると思うのです。


だから、ねえ、もったいないと思うんだよね。まあ、買う人が少なければ仕方ないんだけれども、でもねえ、ブックオフで手に取るともできるんだから、内容のある書物はなんとか、長生きできる方法を探してほしいと思います。









したがって、こういう並べ方もできるのですね。なんだか、すばらしく、いやみっぽいですね。

trouble


いやあ、なんと言おうか、いろいろありましてね。
細かいところは別の機会に書くかもしれませんが、元気が無い時期もありまして、
Blogを書く気になりませんでしたよ。

明日に希望があるんだもの、昨日の虹でもみて、元気を出そう。

2009年4月1日水曜日

ドリフターズ

またなんか、ドリフ関係の再放送特番をやっているようで。

全員集合の前半の長編コントは今ではすっかり見なくなったスタイルですね。

一つのコントの中で、いろんなギャグをつなげて、起承転結を作り、最後に大きな仕掛けのオチで閉めるという形。

もちろん、ドリフのやっていたことには、型があって、それがマンネリになっていた、という
面も合ったんですよね。でも、現在の一発ギャグが多くなったという風潮では、ドリフのようなギャグ、コントを作る作家、芸人さんというのはいないのかもしれません。

面白ければいい、という考えもあり、と思います。でも、いろんなタイプの笑いがあっていいですよね。こういった長編コントがなくなってしまったのは、やはり残念。いろんなタイプの笑いを詰め込んだ、コントもやはり面白いんです。




でも、貼るのはなぜか、せんみつ・湯原です。

2009年3月31日火曜日

Rat Patrol

まあ見てください。

昔見てましたよ。

コンバットは、再放送してますが、これはまだですね。




ドイツの戦車役も、ハーフトラックの役の車両も思いっきりアメリカ製です。
でも、そこがいいんです。それでいいんです。

2009年3月25日水曜日

RUSH is not major in Japan

さて、RUSHというバンドは、そのキャリアと海外での人気に比べると、日本では極端に認知度が落ちるバンドなんですね。
とっつきにくい、という印象を与える理由は、ボーカルのケロケロ声とか、ギョロ目とかいろいろあると思いますが、バラードがない、というのも大きな理由と思います。

バラード好きですよね。うん、私も日本人だから、もちろんいろんなバラードを聴きますが、
RUSHには、バラードがない、全く無いんです。




この曲は、バラードっぽく始まりますが、途中から雰囲気がガラッと変わります。
裏切られたという感もありますが、これがRUSHというバンドの特徴なのでしょう。

経済学

日曜日にみた、「ようこそ先輩」。モリタクさんの話でしたが、
希少性を扱う学問としての経済学を語っていて、面白かったですねえ。

見事に、予算制約を説明していましたが、お金の使い方がわからない、という小学生の意見には、少しびっくり。

まあ、小学生では、500円も大金だからね。

今日の一曲。




お金を扱った曲は、それこそたくさんありますが、私の好きなRUSHからです。

2009年3月24日火曜日

発見

最近、ネットラジオをよく聴いていて、その中で、Three dog nightが「Eli's coming」を歌っているのを発見しました。

全然有名な曲ではないのですが、British rockでは有名なAffinityというバンドも演奏してたりして、(なんと、シングルにもなっている模様)ちょっと出所が気になりました。

オリジナルはLaura Nyroという女性シンガーソングライター(死語)だそうで、
音楽ファンを名乗っている割には、彼女の曲はまともに聞いたことはありませんでした。

でも、まあ、そんな厳密なことは言わないで、こうやって、三つのアーティストが、一つの曲でつながったから、良いじゃありませんか。
そういうことにて、この場を終わりにしましょう。




しかし、これ、完全に口パクですね。ドラムのやる気のなさといい、ボーカルのずれ方といい、もう完璧です。

2009年3月22日日曜日

名著誕生 資本論

読みましたよ、ええ。
世の中には読むことを避けられない本があって、経済学における資本論もその中の一つです。

でも自分は読んでません。○経の講義はありましたが、その際は、ソ連が崩壊した翌年です。
いきおい、資本論のことを軽々しく考えていました。

で、導入としてこの本を手に取ったわけです。いまからでも、経済の勉強をするのですよ。

読んでみて思ったのは、価値の考え方だと思います。
労働価値説については、アダムスミスさんも言っていましたし、その考えに、マルクスさんも賛同するわけですね。翻って現代、労働価値説は軽んじられている、というか限界価値説が有用に扱われている気がします。それでは、労働価値説はあてはまらないのか。そんなことはないのでしょう。では労働価値説を一体どう考えれば良いのか。

間違いなく、この点が考え方の違いの原点なんだと思います。

物品、サービスの価値とは何か、この問題には惹かれるものもありますが、根本的な問題だからこそ難しい。素人が触るところではないのかもしれません。

でも、考えることならば大丈夫だよね。

紀伊国屋書店 scripta

近所の紀伊国屋さんから、scriptaという、Free Magazinを入手。
Freeといって侮る無かれ、著名な作家さんが名を連ねているし、内容も硬軟様々で面白いと思います。なにせFreeなんですから、いらなければもって来なければいい。そういうスタンスで良いんです。

で、今回もらってきた中に、意味深な、記事がありました。
数年前に起きた、有名企業の女性社員の殺人を基にした現代社会論、ジェンダー論、男女論、とでも言うべきものです。

こういう文書を読むと、現代の問題点を浮き彫りにする手法に感心するとともに、考えさせられる面も多いのです。何を考えるって、この題材の扱い方なんです。

この事件は有名企業で収入も高かった被害者が、なぜ、実を売るような行為をしたのか、などなど、様々な形で報道され、この件も扱った本も小説も出たという有名なものでした。
確かにこの件を元に、我々が生きる現代社会を考えるとなると、受験、就職、男女雇用機会均等法など、いろんな切り口があるんです。ただし、いろんな切り口で考えたところで、それで、本当に被害者の真実を伝えているのかというと、そうではないかもしれないと思うのです。

なにせ、彼女はなくなっているのです。彼女の口から意見、考えていたことを聴くことはできません。

こういやって文章になるたびに、彼女は体を売り続けるのです。こういう感じになってすごくいやな気分になるんですね。
もちろん、この件を題材にする作家の方々は綿密な取材や思考の結果、発表していると思いますので、軽々しい点はないのだろうと思います。でも、そうやってできた著作はあくまでもその作者の発言の場であって、彼女の発言ではない、のでしょう。

今回のscriptaの記事の中にも、「彼女は体を売ることで、相手である男性に値段をつけていたのだ」という箇所がありました。この発言は、現代の男女の関係を鋭く抉り出す発言であると同時に、では、本当に彼女はそういうことを考えて行動していたのか、という不安、疑問が付きまとうんです。

作家さんが、こういう疑問を考えているのか、どういう風に処理しているのか、見当もつきませんが、特定の事件から、社会一般的な見解を導き出す際には、慎重にならざるを得ないでしょう。

私たちは、一体何のために、誰のために、現代社会を考える必要があるのでしょうか。

2009年3月21日土曜日

対象年齢不問の絵本

子供をつれてよく本屋さんへ行きますが、子供から目を離すこともできないので、
そのまま絵本コーナーで、時間を過ごすことが間々あります。

昨日は、そんな中で、子供が面白い絵本を見つけ、ゲラゲラ、一人で笑っていました。

絵本というのは、子供を対象にして書かれたものが多いのですが
中には、子供ばかりでなく、親や、もっと年配の方も楽しめるものが少なくないようです。

子供が見つけたのが、「うえきばちです」という本。

とっぴな発想から、言葉を掛けて、豊かな発想に至っています。
豪快な絵と、意外性のあるエンディングで、本当に面白いですね。

こういう発想はできなかったなあ、今からでもできるのかなあ、と、
自分の脳みそに問いかけてみたくなりました。

2009年3月20日金曜日

自分の夢を思い出す。

この年になってくると、昔考えていたことなんか、忘れてしまうことが多いのだが、
ひょんなことから、思い出すこともある。

「まっとうな経済学」という本があって、何度か読み返しているんですが、
経済学の基本的な考え方を、イメージしやすい例をあげて説明しているんです。
著者は、アメリカのエコノミスト。

この考え方を伝えるということが難しいんですね。
特に、日本の経済本、最近では簡単な本も増えているとはいえ、外国の経済学者のような、
しゃれたというか、非常にこなれた形で著作を表すというものが無いような気がする。

経済学の考え方は、やはり欧米流、アングロサクソンの考え方が強いので、
日本語で説明しづらい、という点はあるでしょう。(そのため、経済用語は、外国語を訳した、漢語が多い。)
こうした考え方を物語、エッセイなどの形で表すというのは非常に難しいんですよね。

そう、ここで思い出した。自分の夢ですよ。
私は経済学部に入った頃、こういう著作をかけるような、経済学者(または、経済に携わる人間)になるということを夢にしていたのですよ。

ええ、この夢は、私の怠惰のおかげで、かなえることはできませんでした。
だからなのかなあ、こういう本には興味が強いんですよね。

この本といい、Tシャツを追い掛け回す本といい、本当に読むべき経済本が海外の著作が中心というのは、なんか面白くないなあ。



2009年3月17日火曜日

アウトプットをすること。

本を読む。音楽を聴く、テレビを見る。映画を見る。どれも面白いことだが、インプットに当たることである。自分の体内に取り込んだこと、頭に叩き込んだことを、どんなことでも良いから
外に出すことが必要なんだよね。

ブログは自分の中に出てきたひらめき、考えなどを書くのにうってつけだとは思う。雑音が入る余地はあるけれどね。でも、こうやって発表してみて、人の意見が聴けるというのは、エキサイティングなことだと思う。

反応が無くてもいいんだ。こうやって文章にすることで、自分なりに考え方がまとめられるし、
次に考えること、考えてみたいことのヒントが出てくるときもある。

こんな些細なインプット、アウトプットの繰り返しでも、自分の考え方を深めて行くことができる。不遜にならない程度にする必要はあるけれどね。

2009年3月15日日曜日

作るということ。

作るっていうことが重要なんだと思う。

私も、かつてはプラモデルや、模型や、パンフレットや、作曲や、
作るということを趣味にしてきたし、生活の中心にしてきました。
でもそれをいつの間にか忘れてしまった。そんな気がするんです。

作るという自体はアウトプットです。それにはインプットが必要になります。
自分が希望するもの、アレンジしようとするものを、どのように思い描くか、
時間をかけて調べ、悩み、苦しみながらもそれを形にするという作業は、
決して簡単なことではないのですが、作ったものがまたインプットになり、
また新たな意欲というものが出てくるのです。

作るということを忘れるということは、このインプット、アウトプットの連鎖を
断ち切ってしまうことなんですね。

それまで身に着けてきた技術や、勘所というのも忘れてしまうと、再び作る、という
ことに戻るのは大変になります。時間がないとか、興味がないとか、そういういいわけが増えると、もう簡単には戻れなくなるかもしれません。

今の私がこういう状況になっているのかもしれません。日々の雑多なことに忙殺されすぎているかもしれません。
だからこそ、もう一回、作るということに興味をもち、できればかつての情熱を取り戻したいと思います。そして、自分の生活自体も作る、そういうことにしたいんです。

いや、子供にせがまれて、車のプラモを作り始めたのですが、これが面白くって、かつての感覚を思い出したんです。色が無くって、中断気味ですが、今週、スプレーや筆塗り塗料を買ってきて、一気に作りたいと思います。

プラモにだって、それなりのインプットを持っていないと、取り組めないんですよ。

卒園式

子供の卒園式があった。一つの節目を迎えました。

幼稚園のときの友達と、一生付き合う、ということはあまり無いのかもしれないけれど、
子供の人格が形作られるときに出会った友人のことは、忘れてほしくないと思う。

雰囲気だけでも良いからね。幼稚園って、特有のやわらかい雰囲気があると思う。
その雰囲気、空気というものをしっかり、覚えていてほしい。

先生や、同学年の子供たち、その親御さんたちには、大変お世話になりました。

これからも、広く浅くお付き合いをさせていただければ、私は幸せです。

ありがとうございました。

2009年3月10日火曜日

メタルゴッドたちのお言葉。

前にも書きましたが、"Time Flies When You're in a Coma" という本が面白いです。

まだ日本のamazonでも、レビューはされていないようですが、たまたま、ララポートの本屋でこの本に出合えたことはラッキーなのかもしれません。

内容は80年代に活躍したメタルバンド(俗称、ヘアメタルが主流)の詞の一部を写真とともに紹介し、メタルゴッドたちが如何に精神性にあふれたありがたいお言葉を残しているかをありがたがる、というものです。

だいたい一神教の合衆国で、メタルゴッドと名乗る本が出ること自体、社会を舐めたところがある行為かもしれませんが、装丁もしっかりしていますし、コンセプトも面白いので、興味のある方は、探してみてください。ちなみに、書店売りより、amazonのほうが安いみたいです。

また、神々の言葉にはさまれ、悟りを促す方法も書かれています。
ためしに、Zen Questionsを訳してみるとこんな感じです。


禅問答とは、己の真の姿を発見する道なり。禅問答は、本質的にディレンマであるため、従来通りのお決まりの考え方では答えられないのである。ゆえに、回答の妥当性というものは、問題と同様に、あなた自身がどう考え抜くかに拠っているのであるが、回答は時に自分が正しい答えを発見したと思った場合に、確信されるものなのである。
 禅問答は、一日に6回自問自答され、それぞれ6分間考え抜き、これを一週間に6日おこなうべし。これを「666の掟」と云う也。
 まず、気持ちの落ち着く、静かな場所で、声を出して、汝のメタル禅問答を繰り返すべし。言葉が汝の口より、雨露のごとく染み出すよう唱え、その後に訪れる静寂を味わうべし。心を使って考えるべし。頭で考えるのではない。直感を信ずるのだ。さすれば「答え」となるべきものが、徐々に現れてくることに気づき始めるだろう。そうしてであったものに、汝は驚き、腰を抜かし、場合によっては、吐き気を催すほどむかつくかもしれん。しかし、心配すること無かれ。それは暗黒より出でし、汝の真の姿なのだ。
 汝の心を混乱させ、汝自身の本質に共鳴する回答に行き当たったとき-そう、ただそのときにのみこそ、汝は新たな自信と悟りの境地を抱きながら、また新たなメタル禅問答に進んでいくがよい。


なかなかいい感じでしょ?こういう本が出てくるところ、アメリカ文化のの懐は深いのですよ。

2009年3月4日水曜日

赤頭巾ちゃんご用心

会社の先輩に同行して、平塚あたりまでプレゼンに行っていたのですが、
その方が、結構な音楽ファンでして。盛り上がっちゃったんですね。

いきなりラウドネスから始まったと思ったら、次はレイジーでした。
10年ぶりぐらいじゃないかなあ、赤頭巾ちゃんを聞くのは。

典型的なアイドルソングですが、今聞いてもやっぱり恥ずかしくなる、そんな名曲です。

その次にはCCBを聴いて、サウンドはいいじゃねえか、と再確認。面白いもんです。
いろいろな発見がありました。

で。ここでは赤頭巾ちゃんを貼るところなのですが、いいのがないのです。
埋め込み禁止だったりしてね。

全曲はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=Jbnwg-CmaXM

発見ついでに、この人もカバーしてるんですね。



でもこれは、前奏が消えていて残念。やっぱり、デデデデッというのが無いと寂しいです。

訂正が入るのか。

日本人は iPhone が嫌い ? - スラッシュドット・ジャパン

日本ではiphoneが売れないという記事が、捏造だとか、そうではないとか。

どちらなんでしょうかね。