状況はよくなっていると思う。
チャンスをつかむのは自分だし、やるしかないのだけれど、
入社から一週間。新しいことを学ぶのは疲れるもんです。
ここから始めるのさ、自分の人生だ。ここから始める。ものにする。
2008年10月31日金曜日
2008年10月27日月曜日
2008年10月26日日曜日
諧謔。
欧米と日本の音楽の違いって、やっぱり、批判精神、諧謔にあるのだと思うのです。
ボノ、みたいに政治に介入する人もいるわけですが、他にも政治的なバックグラウンドを持つグループもありますし、政治、経済、社会を相手にする、土壌というのがあるのではないでしょうか。
日本の場合、J-POPとして、かなり楽曲のクオリティは高くなっていると思います。でも歌詞の内容は歌謡曲の延長なのか、恋愛を題材にしたものが多いですね。
悪い事はないですが、社会に訴える曲、政治的に物議を醸し出すようなものはまだないですよね。こういうところはフォークソングなどに適わないわけですが、先日の清原さん引退セレモニーのように、完全に主役を食っちゃった元フォークシンガーもいるのですから、一概にフォークが社会に対抗しているとは言えないのかも知れません。
お姉ちゃんたちのパンチラもそりゃあ、気にならないことはないですが、こういう話題だけではやはり寂しい。もっと、主張するJ-POPというのを聴きたいですね。
今の時代、音楽が持っている力を発揮してほしいと考えています。
この人たちもかなり政治的。まあ、かなり曲がっていますけれども。
2008年10月23日木曜日
よよよい、よよよい、よよい、よい。
なんだかねえ、ここまでくると何がよくて何が悪いのかわからなくなるね。
仕事のことなんだけれども、ここまで苦労するものか。
この状況を個人として突破するためには、何が必要か。
粘り強さなんだろうね。こう書くと、自己啓発本みたいだし、まあ実際その影響で書いているんだけれども、
せめて自分の好きなもの、やろうと決めたもの(これが目標になるのかな)には、毎日何らかの形で、関わっていこうと思おうよ。勉強って、結局継続なんだよね。
何をやるか。
勉強
営業
資格
FP
音楽
ベース
父、夫としての役割
わあ、結構あるねえ。大まかに書いたけれども、やること多いぞ。
目指すべきものは、有能な一市民だ。なんだこれは、まだ考えることは多いぞ。
この曲も懐かしいですね。当時のバンドもまだ、現役というのが多い。こちらも負けていられない。
2008年10月20日月曜日
「分かりやすさ」の帰結
報道、テレビ番組、政治、経済、世の中のありとあらゆる面で、「分かりやすさ」という点が最重要のものとして扱われているような気がします。
万人に受け入れなければ、問題がある、それでは意味がない、という風に受け入れられ、
わかり安いものが、受け入れられる、そういう風潮です。
今のところ、なんと言って表現したらよいのかわからないのですが、分かりやすければ、本当にそれでいいのか、疑問に思うのです。
努力して取得しなければ得られない知識もある。そうした知識を前提に議論をせねばならないものもあるでしょう。
でもそんな労力を使うようなことは排除され、わかりやすいもの、習得しやすいものが歓迎されている。
世の中のできごとは、すべて分かりやすいものでできているわけではないでしょう。本質的には単純なものが多いのかもしれないけれど、それがイコール簡単なこと、理解しやすいことにはならないと思う。
わかりやすさが重要なことになるのであれば、送り手は簡単に情報操作ができると思うんですね。
この点を考えてみたいと思います。
2008年9月25日木曜日
子殺し
なんというのか、子供が犠牲になる事件が多くて、
いやな気分になる。
子殺しの犯人は、ほとんどその身内である、というような統計もあるみたいだけれども、
嫌なものだよね。
親が子供を殺す、子が親を殺す、かつては赤塚不二夫の漫画に描かれたような
ナンセンスが実現されてしまっている。
殺人が当たり前って、どんな世の中なのだろう。こんなナンセンスがあるのだろうか。
前述の赤塚さんの漫画については、その漫画の世界が実現したようなナンセンスな現実に直面すれば、もう昏睡するしかないだろう(逝去する前の状態)、といった丸谷才一さんの評論があったけれども、われわれも、このような現実に直面して、いったいどのような対応ができるというのだろうか。
この曲のナンセンスさが通用していた時代があった。
でもこの曲をテレビ、ラジオで聞くことは無いだろう。このような諧謔が全く通用しない世の中になっているのだ。
2008年9月23日火曜日
なんとなくタイトルを変えました。
もっと広く音楽を扱いたいな、と思ったからですが、
そんれほど引き出しは大きくないから、毎日の更新はできないだろうけれどね。
久石さんの武道館コンサートをNHK衛星で拝見。
武道館は音響はよくないと聴くけれども、そのせいなのか、
音量がかなり小さく聴こえた。これが残念。
真夏のコンサートで、コーラスも含めればかなりの大所帯だから、
キャパを考えると、武道館クラスが必要なのだろうけれど、
サントリーホールぐらいで、きれいな音を楽しみたいという人もいるだろうね。
ジブリ作品のベスト盤みたいな雰囲気のコンサートだし、、
作品では、主題歌、挿入歌が大切に扱われているから、音楽から映画の場面を
連想できるだろうし、ファンには楽しめたと思います。値段は知らぬが。
武道館といえば、やはりこれ。
よく、こういうのが残っているよねえ。不思議!
2008年9月20日土曜日
人生の変革期をまだ走っています。
いやあ、なんか疲れたねえ。
本当にやらなければならないことが多すぎる。こんな短期間に
人生の大問題を決めなければならないなんて、エキサイティング&タイアード。
カタカナかっこ悪いね。Exciting but tired.
決断というのは、疲れるものですが、
他人任せにはできないのです。
他人の奴隷となるのではなく、また、何も従えず、
独立して歩いていきたいが、人生って大変ですね。
それでも前に進むのですよ。
自己啓発本を紐解けば、そこには、まず、目標あれ、と書いてある。
それはそうだ。目標があるからこそ、失敗したって何回も立ち直れるのだ。
この忙しい時期に、まじで、きついんだけれども、他の何人のためではなく、
自分、自分の家族のために、突き進んで行きたいと思うのです。
投稿者
えげれす
時刻:
21:35
|
2008年6月29日日曜日
2008年6月11日水曜日
2008年6月10日火曜日
2008年6月9日月曜日
2008年6月8日日曜日
赤塚論
いつぞやか、朝日新聞に載った、丸谷才一さんの赤塚不二夫氏に関してのエッセイが忘れられない。
本では「袖のボタン」に入っています。
単なる赤塚氏に対しての愛情、現代への風刺をまとめたものではない。
丸谷さんのもっている知識をすべて掘り下げて書いたような、恐ろしいと思えるぐらいの深みがある文章なんです。読むたびにその深みが一つ一つ明らかになり、そのたびに新たな発見がある文章なんですね。
いったい、この人の頭の中身はどうなっているんだろう。確かにものすごい読書家で、恐ろしいぐらいの小説家、文筆家なのですが、それだけで言い尽くせない、怖くなるぐらいの知識を持っている。日本語論も市井の下世話な話も、すべてさらりとした、水が流れるような文章ですませてしまう。だけれども、その内容は、どんな濃厚なスープも比べものにならないほどの滋養にあふれている。滋養どころか、一滴口に含んだぐらいでも、鼻血が飛び出しそうなぐらいの勢力が詰まっている、そんな文章だ。
氏のエッセイには必ず、引用先書物が紹介されている。これをすべて読んだとしても氏にはかなわないだろう。だけれどもこの赤塚不二夫論はこれからも愛読していきたい。
こういった文章を書きたい。本当になりたい。
2008年6月7日土曜日
Gary Brooker
さて、先にAlan Parsons Projectのlimelightを貼り付けていますが、
歌うのはGary Brookerさん。
この人はProcol Harumを作った人なのですね。
60年代はまだ疎いもので、彼らの作品にも精通している訳でもありませんので、
この辺は聴きながら知識を得ているという状況ですね。
ちゃんとライブもあります。
で、このProcol Harumはこの曲で有名なのですね。
ええ、80年代にはそこそこ詳しいので、わざと彼らのバージョンを貼っています。
洋楽のこういうつながりって面白いですねえ。
点の集まりではない。必ず線ができるのです。時系列を飛び越えた線。だから、飽きないのです。
もうすぐ百回目の書き込みとなる。
したがって、初心に返りミュージックライフからひとつ。
1984年3月号。表紙はGary Moore。この号の最後の写真のひとつにYesが写る。
このころ。
多くのファンを魅了した60年台、70年代前半を経て80年代に復活した、Yes。
今でも現役だけれど、アルバム90125以降はそのファンを喜ばせたり、がっかりさせたり、本当に紆余曲折の多いバンドです。Talkなんて、がっかりアルバムと呼ばれたりしていた。
ASIAの流れといい、尾念のプログレ人がポップスの領域に伸びてきているのは面白いのですが、この辺が賛否分かれるところなんですね。
2008年6月3日火曜日
2008年6月2日月曜日
舌足らず
どうも昨日書いたことは、舌足らずなんで補足。
要は、「ある特定のジャンルを代表するバンドだからといって、それだけで崇め奉られることもないし、それだけで貶められることもない」ということ。できれば、そういう評判だけじゃなくって、聞いてから判断しようよ、ということ。こういうこと書くと、音楽ジャーナリストをすべて否定するように読めますが、そんなつもりはないのですよ、と苦しい言い訳をしてみる。
でも、昨日ようつべで、Rainbowの絵を探していていい言葉に出会った。
Rainbowはパワーメタルを初めて世に送り出したバンドだってこと。
この曲のことですね。
すげえ、世界にはこんなのがいるんだよ!!
2008年6月1日日曜日
再評価
レインボーの再評価が個人的に進んでいるんですねえ。
レインボーは、某音楽誌の思い入れが強くて、聞く人、その個人なりの意見、感想が持ちにくいバンドなんですね。どうも雑誌の影響が強いのですよ。
したがって、その雑誌が扱うジャンルの音楽が嫌いな方々からは、そのジャンルの代表格のように思われていて(もちろん、そうなのだけれど)、特に激しいバッシングやイグノラントがあるように思えるのです。
でもねえ、そんな偏狭な扱いをされるバンドでは決してない。
最近よくに聞いているのは"Gates of Babylon"なんですが、これ、ロックというジャンルを軽く超えているところもあるように感じられる。
特にギターソロの部分なんか、神々しさまで醸し出すような雰囲気で、この曲はまずギターソロから作られたのでないだろうか、と思えるぐらい、この曲の重要な部分だと思うんですね。
できるだけ純粋に聞こうとするとなると、どうしても雑誌の影響が障害になる部分があるんです。リッチー、ロニー、コージーの三頭政治(英語ではHoly trinityとあった。)とかそういう謳い文句で扱われる場合が多い時期で、そういう風に言いたくなるのもわかるのですが、
やっぱり、自分でどう感じるか、どう評価するのか、ということを考えると、どうしても邪魔に思えるところもあるんです。
曲の評価は千差万別。人の評価も千差万別ですが、できれば自分の考えを前面に出して味わいたいですね。記事や雑誌は参考にはなりますが、それに支配されないよう、できる限り踏ん張っていたいと思います。